Blogを斬る,おまけ



記事 「欧州からも賛同続々、計457人に 慰安婦問題など、米研究者ら187人声明」 を斬る

 引用元URL → http://fightforjustice.info/?p=35929 ( 魚拓 )

 このページは、webサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 が開 設された2013年08月01日時点で存在しなかったページです。

 いつ追加されたのか?は、

 

 より、2015年05月27日 だそうです。


 以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責 任』からの“引用”です。



 標題の記事がでました。
 米研究者など187人の声明は、2015年5月7日ブログ記事参照してください。


 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11762873.html?iref=reca
 2015年5月20日

 …… 米国の日本研究者や歴史学者ら187人が発表した声明への賛同者が増え続け、
 新たに270人が加わった。
 19日、計457人になった賛同者がネット上で公表された。
 欧州の研究者も多数含まれており、世界的な広がりを見せている。

 (5月)5日に公表された 「日本の歴史家を支持する声明」 は、
 戦後の日本と近隣諸国の平和を称賛し、第2次大戦以前の 「過ち」 について
 「全体的で偏見のない清算」 を呼びかける内容。
 慰安婦問題などの解決に向け、安倍晋三首相の 「大胆な行動」 に期待を示した。
 取りまとめ役の一人、コネティカット大のアレクシス・ダデン教授によると、
 公表後から 「 自分も賛同したい 」 という研究者が続出したという。

 新たな賛同者としては、ドイツ日本研究所(DIJ)のフランツ・バルデンベルガー所長や
 フランスの社会科学高等研究院・日仏財団のセバスチャン・ルシュバリエ理事長らが加わっている。
 バード大のイアン・ブルマ教授ら、米国を拠点とする著名な日本研究者も加わった。

 (ニューヨーク=中井大助)

 

   > (5月)5日に公表された 「日本の歴史家を支持する声明」 は、
   > 戦後の日本と近隣諸国の平和を称賛し、第2次大戦以前の 「過ち」 について
   > 「全体的で偏見のない清算」 を呼びかける内容。

 バカですか?

 第二次世界大戦以前の 「過ち」 を言い出したら、有史以来連綿と続けられてきた白色人種による血 塗られた有色人種迫害はどうなるよ。

 手抜きで悪いが、

 解決編 4 国際社会の声
 - 5 国連人権理事会普遍的定期審査(UPR) を斬る

 からコピペな。

 アメリカ

   2013年05月18日 千日ブログ 〜雑学とニュース〜
   米軍風俗拒否の一方で性的暴行3400件、イラクで3割レイプ・6割セクハラ
   http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-3354.html

   > 橋下徹大阪市長の提案に対しては、米軍がたいへん反発しています。
   >
   >   【橋下市長・風俗業者活用提案】米軍は買春拒否 政策に逆行と批判 
   >
   >   【ワシントン共同】
   >   米国防総省のリトル報道官は13日、橋下徹大阪市長が在日米軍に
   >   風俗業者の活用を求めたことについて、コメントしないと述べた上で、
   >   米軍が買春を拒否するのは「言うまでもない」と強調した。 記者団に語った。
   >
   >   在日米軍(司令部=東京・横田基地)の高官も共同通信に対し、
   >   橋下氏の発言は
   >   「 われわれが米兵に徹底させようとしている価値(観)と相いれない 」
   >   と批判。
   >   「 米国防総省の政策や米国の法律に逆行する 」
   >   とも述べた。
   >
   >   在日米軍は、沖縄県で昨年10月に起きた米兵2人による集団強姦致傷事件を受け、
   >   毎日午後11時から午前5時までの間、日本滞在の全米兵の外出を禁止するなどした。
   >
   >   在日米軍高官はこうした経緯を踏まえ、米軍の規律強化に取り組み、
   >   駐留先の市民らとの関係改善に努めると強調した。
   >
   >   (共同通信) http://www.47news.jp/47topics/e/241372.php
   >
   > ただ一方で、アメリカも米軍の性犯罪について、目をつぶってばかりはいられないところが
   > あるというのも事実だと思います。
   > 日本でも在日米軍による犯罪や問題行動が後を絶たないわけですが、
   > 他地域での米軍のニュースも目を疑うものがあります。
   >
   >   米軍で性的暴行3400件=オバマ大統領、怒り心頭
   >
   >   【ワシントン時事】
   >   米軍内で2012会計年度(2011年10月〜12年9月)の間に、
   >   3374件の性的暴行事件が認知されていたことが7日、国防総省の公表した
   >   年次報告書で分かった。
   >   オバマ大統領は記者会見で、性的暴行は「絶対に許さない」と強調し、
   >   綱紀粛正の徹底を約束した。
   >
   >   12年度の認知件数は前年度比で182件増。
   >   このほか、アンケート調査などから推計した「望まない性的接触」を経験した人数は、
   >   前回調査(10年度)時から6700人増え、2万6000人に達した。
   >
   >   (2013/05/08-09:59)
   >   http://www.jiji.com/jc/zc?k=201305/2013050800162&g=int ( 消えています・魚拓なし )
   >
   > こういうのを見ると、「米軍は軍人の性欲をコントロールできている」とは
   > 言い難いものがあります。
   >
   > 特に強烈なのが次の記事。
   >
   >   駐留部隊:米女性兵士の3割、軍内部でレイプ被害 
   >   毎日新聞 2013年03月19日 02時30分
   >
   >   米英軍主導の侵攻から20日で10年を迎えるイラクや
   >   国際部隊の駐留が続くアフガニスタンに派遣された米女性兵士延べ28万人の
   >   3割以上が、上官らから性的な暴行を受けていたことが分かり、
   >   米国内で「見えない戦争」と問題視されている。
   >   連邦上院の軍事委員会で13日、「軍内性的トラウマ(MST)」と呼ばれる
   >   心的ストレスに関する公聴会が初めて開かれた。
   >   新たな被害を恐れ沈黙を余儀なくされてきた被害者は「風穴が開いた」と歓迎している。
   >
   >   カリフォルニア州図書館調査局が昨年9月に発表した実態調査によると、
   >   イラクとアフガニスタンに派遣された女性兵士の33.5%が米軍内でレイプされ、
   >   63.8%が性的いやがらせを受けたと回答した。
   >   国防総省も問題を認めている。
   >   軍内での性的暴力は2010年だけで、男性の被害も含め推計1万9000件にのぼる。
   >
   >   http://mainichi.jp/select/news/20130319k0000m030127000c.html
   >   ( 消えています・魚拓なし )
   >
   > 異常な数字です。
   >
   >   上院公聴会で議長を務めたバーバラ・ボクサー議員は
   >   「 被害申告が出ているのは17%にすぎない 」
   >   と指摘。
   >   「 この問題の公聴会を開くのに10年もかかった。 変革の第一歩だ 」
   >   と意義を強調した。
   >
   >   イラク戦争中の03年にクウェートに派遣された前後に
   >   米国内基地で上官から性的暴力を受けたコーリン・ブッシュネルさん(39)は、
   >   公聴会をインターネットの生中継で見ながら
   >   「 草の根運動で長年取り組んできたことがようやく公に明るみに出た 」
   >   と興奮した。
   >   証言する予定だったが心的外傷後ストレス障害(PTSD)のため断念。
   >   議長の言葉に救われた思いがした。
   >
   >   クウェート派遣前に男性上官からレイプされ、
   >   帰還後に女性上官から性的暴力を受けた。
   >   「 上官を訴えても自分を助けてくれる人がいると思えなかった 」。
   >   精神的なバランスを崩し、06年に退役。
   >   2人の子供がいる家には帰れず、5年近くホームレス生活を続けた。
   >   「 自分が恥ずかしく、行く場所がなかった 」
   >
   >   05年のイラク派遣中に変死した女性米兵ラベナ・ジョンソンさんの両親が、
   >   自殺と断定した軍に「殺害された」と異議を唱えていることを知った。
   >   ジョンソンさんの遺体には、殴られ、レイプされたと見られる痕が残っていた。
   >   下士官時代のつらい記憶と重なり「彼女の無念を伝えるのが使命」と感じた。
   >   昨年夏から3カ月、全米12州の退役軍人組織を巡る行脚に出た。
   >
   > 性犯罪防止として性風俗の正当性を訴える言説には
   > 「 本当はレイプするところなのに、レイプしないでやっているのだ 」
   > といった認識が見え隠れして大嫌いなのですが、データ的に抑止効果があるのであれば
   > 真剣に検討することは悪ではないでしょう。
   >
   > 何かこのままだと、臭いものには蓋をして終わり……といった感じに見えなくもありません。
   >
   > ( 追記:日本以外の慰安婦問題 アメリカと韓国は第二次世界大戦後も利用を書いたところ、
   >     GHQ時代の性犯罪のデータもありました。慰安所の効果はある程度ありそうです )


   2013年05月29日 千日ブログ 〜雑学とニュース〜
   大戦中のアメリカ軍兵士、フランス人女性を性のはけ口とレイプの対象に
   http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-3411.html

   >   【ワシントンAFP=時事】
   >   米兵、仏女性を性的はけ口に=レイプも多発−大戦中の欧州
   >
   >   第2次世界大戦中、ノルマンディーに上陸しフランスに進撃した米軍兵士の多くが
   >   地元女性との性行為に躍起になり、トラブルの種になっていたことを示す研究書が
   >   米大学教授によってまとめられ、6月に刊行されることが分かった。
   >   ナチス・ドイツからの欧州解放の立役者となった米軍の影の部分に
   >   光を当てたものとして注目される。
   >
   >   この本は、米ウィスコンシン大学のメアリー・ロバーツ教授(歴史学)が著した
   >   「 兵士たちは何をしたのか−第2次大戦時のフランスにおける性と米兵 」。
   >   米仏両国の資料を分析したもので、同教授によれば、米軍進駐後のフランスでは、
   >   公園や廃虚などさまざまな場所で米兵が性行為を行っている姿が見られた。
   >   レイプも多発し、数百件が報告された。 米兵による買春もあった。
   >
   >   フランス女性たちは既婚者でも米兵にしつこく誘われ、ある住民は
   >   「 ドイツ占領中は男たちが隠れなければならなかったが、
   >    米兵が来た後は女性を隠さねばならない 」
   >   と言っていたという。
   >
   >   当時のある市長は駐留米軍幹部に苦情を寄せたが、問題は改善しなかった。
   >
   >   (2013/05/26-19:29)
   >   http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013052600172 ( 消えています・魚拓なし )
   >
   > 上記はAFPを使ったものとありますが、そのAFPの日本語版もありますので、
   > そちらを直接見た方がより詳しいです。
   >
   >   「解放者」米兵、ノルマンディー住民にとっては「女性に飢えた荒くれ者」
   >   2013年05月27日 14:38 発信地:ワシントンD.C./米国
   > 
   >   【5月27日 AFP】
   >   6月に刊行予定の
   >   「 What Soldiers Do: Sex and the American GI in World War II France
   >    ( 兵士らは何をしたのか:第2次世界大戦中のフランスにおける性と米兵 ) 」
   >   は、米ウィスコンシン大学(University of Wisconsin)の
   >   メアリー・ルイーズ・ロバーツ(Mary Louise Roberts)教授(歴史学)が、
   >   米仏で膨大な量の第2次大戦中の資料を研究してまとめた著作だ。
   >
   >   研究の趣旨についてロバーツ教授は、
   >   「 GI(進駐軍兵士)はたくましい男で、常に正義に基づいて行動する
   >    との典型的な『GI神話』の偽りを暴き出すことだった 」
   >   と、AFPに語った。
   >   教授によると、米軍では当時 「 フランス人に対して優位に立つ 」 手段として
   >   性欲、買春、レイプが取り入れられていたという。
   >
   >   http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2946474/10810152?ctm_campaign=・・・
   >
   > 記事によれば、ロバーツ教授は
   > " 歴史を書き換えたいわけではなく、「フランス側から見た実態」を明らかにすることによって、
   >  ただの「空虚な英雄譚(たん)」にとどまらない「人類の経験の1つ」として
   >  ノルマンディー上陸作戦を捉え直すのが目的だと説明している "
   > そうです。
   >
   > ただし、
   > " 「フランス人に対して優位に立つ」手段として性欲、買春、レイプが取り入れられていた "
   > と書かれている時点でわかるように、その内容はとてつもなく醜いものにしかなり得ません。
   >
   >   米兵たちは、ノルマンディーの人々から「性のアバンチュール」を求めてやってきた、
   >   セックスに飢えた荒くれ者と見られていた。
   >   これは地元ノルマンディーではよく知られていることだが、一般的な米国人にとっては
   >   「大きな驚きだ」とロバーツ教授は述べている。
   >   (中略)
   >   ロバーツ教授は、
   >   (中略)
   >   米軍が未知の国で戦う若者たちを鼓舞する即効策として、意図的に米兵たちの性欲に
   >   訴えかけるプロパガンダを行ったとみられる点も指摘している。
   >
   >   例えば、写真ジャーナリズムの草分けである米誌「ライフ(Life)」は、
   >   フランスを「快楽主義者4000万人が住む巨大な売春宿」と表現した。
   >   また、米軍機関紙「星条旗新聞(Stars and Stripes)」は、
   >   フランス女性を口説くためのフランス語フレーズを連載。
   >   「きみ、とても可愛いね」「たばこをあげようか」「ご両親は今、家にいるの?」
   >   といった会話の糸口を紹介していた。
   >
   >   ロバーツ教授は「米兵の性欲は、いったん火が付くと手が付けられなかった」と記している。
   >
   > 特にひどかったのは、ルアーブルやシェルブールという地方だそうです。
   >
   >   米兵たちは、女性を見れば既婚女性でさえ公然とセックスに誘い、
   >   公園、爆撃を受けて廃墟と化した建物、墓地、線路の上など、
   >   街中いたるところが性行為の場となった。
   >   しかし、全てが両者の合意のもとで行われたわけではなく、米兵によるレイプの報告も
   >   数百件残されている。
   >
   >   ロバーツ教授が調べた資料によれば
   >   「 セックスをしている男女を見かけずに街を歩くことは不可能 」
   >   なほどで、当時のルアーブル市長が米駐留部隊の司令官に改善を求めた
   >   と記されていた。
   >   米軍の上官らは兵士たちの行為について公式な非難声明は出したが、
   >   改善の努力はしなかったという。
   >
   > 暗黙の性犯罪推奨と受け取られるような話です。


   2013年12月27日 暇人\(^o^)/速報
   アメリカの歴代インディアン政策について書いてく
   http://himasoku.com/archives/51822806.html
   > 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:29:00.94 ID:6P82dOC70
   > アメリカ建国以前
   >
   > ・ 清教徒革命 → 移民
   >
   > アメ 「 イギリス人たち聖書ないがしろにし過ぎぃ! もうイギリスはこりごりだよ!
   >     だから海渡ってきたよ!」
   >
   > イン 「 あんたら、海の向こうから来たって?大変だな。
   >     冬は厳しいから食べ物とかお裾分けするよ 」
   >
   > アメ 「 ありがとう!トウモロコシうまうま。七面鳥うまうま」
   >
   > ※ 最初は割と良好な関係。 移民してきたのは一応敬虔なキリスト教徒だし。
   >   ただし1620代から既に虐殺の記録がある。

   > 4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:30:58.14 ID:6P82dOC70
   > ・ アメリカ独立(1776)前
   >
   > アメ 「 ここからここまで僕の土地ね。 インディアンは出てってね」
   >    ( 1778 最初のインディアン条約 )
   >
   > イン 「 土地を持つって何? あ、ここらへんの土地一緒に使うってこと? わー贈り物だー 」
   >
   > ※ そもそもインディアンに土地を所有するという概念が無かった。
   >   白人が商談を持ちかけられても 「 土地? いーよ使って 」 状態だった。

   > 6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:31:23.18 ID:wgcprmS+0
   > 感謝祭に七面鳥食うのって>>1のこれに感謝してるんやっけ?

   > 9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:34:14.85 ID:6P82dOC70
   > 一方で白人移民の基準では開拓した土地は自分のものだったので、
   > 白人は勝手に柵を作って土地の所有を宣言していった。
   > 自分の領土に勝手に入ってきたインディアンを撃ち殺しても合法。
   > インディアンから見れば 「 一緒に使おうね! 」 って約束だったのに 「 出てけ! 」 と言われ
   > 仲間が殺されてくわけである。 そりゃ怒る。
   >
   > 「 インディアン嘘つかない。 白人みんな嘘つき 」 とはまさにこういう意味である。
   >
   > 字の読めないインディアンに詐欺まがいの口約束で契約を持ちかけたり、
   > 話し合いの前に大量の酒を持ち込み酔いつぶれたところで契約、ひどいとそのまま皆殺しに
   > するような悪辣な手法も行われた。
   >
   > このあたりからアメのぐう畜が目立つ
   >
   > >>6 一応そういうことになってる。
   > ただかなり捏造と言うか、後々散々虐殺してるのにこの時だけ仲が良くて違和感がある。

   > 10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:36:59.10 ID: 6P82dOC70
   > イン 「 つーか見たことのない病気でヤバい。 銃ヤバい馬ヤバい 」
   >
   > 一方移民によりヨーロッパから運ばれた菌に免疫のない先住民はバタバタ倒れていった。
   > 白人から馬や銃を手に入れて優位に立ち因縁の部族に戦争を仕掛ける部族も現れ始め、
   > それを煽ることもあった。
   > このようにインディアンはどんどん勢力を減らしていき、
   > 一方白人は東側から着々と開拓していった。
   > 結果1800年前後にはミシシッピー川より東のインディアンは
   > 「 文明化5部族 」 みたいな例外を残しほぼ姿を消す

   > 11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:39:45.32 ID:Oa/1UJBTO
   > 文明化5部族って何

   > 14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:43:20.13 ID:6P82dOC70
   > >>11
   >
   > 農業とか、西洋文明の生活スタイルを取り入れて、白人におもねる代わりに
   > 最低限の生活 ( 問答無用でぶっころされない ) を補償された部族たちのこと。
   > まあ強制移住とかさせられて散々だったんですけどね。

   > 16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:45:15.71 ID:hnwOrN3C0
   > 白人 「 あいつら天然痘に弱いんじゃね?良いこと考えたわ 」
   >
   > 白人 「 こんちわ突然ですがこれあげます 」
   >
   > イン 「 アリガトオレイニコレアゲマス 」
   >
   > 数日後インディアンは天然痘になり死亡とか鬼畜過ぎ

   > 19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:48:04.94 ID:hnwOrN3C0
   > >>16 で白人が渡したのは天然痘患者が使った毛布な

   > 24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:50:59.55 ID:Oa/1UJBTO
   > >>16
   >
   > 非常に残虐なる人達だ

   > 17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:46:55.26 ID: 6P82dOC70
   > 19世紀
   > アメ 「 もう君たちみたいな野蛮人を交渉相手と認めないよ。
   >     君たち用の保留地をあげるからそこに移住してね! 反論は許さないよ。
   >     従わない部族はGYAKUSATUだよ!
   >     大丈夫、移住先で君たちに 『 文明的な 』 生活を教えてあげるよ!」
   >
   > → インディアン強制移住法(Indian Removal Act, 1830)。
   >   オクラホマに強制移住させられる。
   >   移住の際にろくに食料や毛布等を与えられなかったため、
   >   移動中部族の何割かが死んだ部族もある。
   >   拒否ったらいかry
   >
   > 一方で政府は西部開拓を進めた。
   > 空いた土地には白人が畑と牧場を作り、鉄道と電話線を引いた。
   >
   > 白人 「 ふむ、すこしは文明的な眺めになったな 」

   > 20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:49:12.58 ID: 6P82dOC70
   > イン 「 ここは父母の眠る土地だ! 離れるわけにいかない! 」
   >
   > → 各種のインディアン戦争勃発。
   >   リトルビッグホーンの戦い、ウーンデッドニーの虐殺などが有名。
   >   直接的な戦闘も多いが、白人達はバッファローを大量に殺すことで
   >   インディアンを兵糧攻めにしていった。
   >   リトルビッグホーンの戦いなどインディアン側の数少ない勝利も、
   >   白人に反撃の大義名分を与えただけだったりする。

   > 22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:50:46.55 ID:W5D7VrPO0
   > 日本で例えたら江戸時代に白人が侵略してきて、
   > 現在は日本人は北海道や鳥取に数十万人しか生存していないような状況。

   > 27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:55:33.11 ID: 6P82dOC70
   > >>22
   >
   > まさしくそんな感じ。中国人かモンゴルでも可。 実際チベットとかそんな感じだしねー。
   > アメリカ大陸なかったらヨーロッパ人が真っ先に来るの日本だし、
   > 島じゃなく大陸と繋がってたらだいぶ違うだろうねー。

   > 23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:50:50.49 ID: 6P82dOC70
   > ちなリトルビッグホーンの戦いの経過とその後
   >
   > 白人指揮官が無能で陸軍の一部隊が全滅
   >  ↓
   > 指揮官 「 インディアンが奇襲してきたから ( 震え声 ) 」 ← 大嘘
   >  ↓
   > 世論 「 卑怯なインディアンに鉄槌を! 」
   >  ↓
   > 大部隊派遣
   >  ↓
   > イン 「 ゆんやー 」

   > 30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:58:05.12 ID: 6P82dOC70
   > アメ 「 部族ごとに土地をあげたけど、部族の身分によってもらえてない人がいるね?
   >     女が財産持つとかそもそもおかしいし。
   >     自由の国アメリカとしては許せないから、個人の土地に分けるね!
   >     あっそうそう、余った分は政府がもらうよ!
   >     ( そしてその土地を鉄道会社に売って政府は大儲けだよ ) 」
   >
   > → ドーズ法 ( 1887 )
   >
   > 部族ごとに与えられた土地を、個人に分配すると言う名目で施行された法律。
   > 部族に与えられていた土地を人数で割るのではなく、
   > 成人男性一人につき〇〇エーカー等決められて分配され、余りは全て政府の土地となった。
   > 大体半分弱、多いところでは9割が政府に取り上げられる形となった。
   > さらにこの法にはインディアンに個人所有の概念を押し付けることで
   > 部族としてのまとまりを削ぐ目的があった。
   > 個人のインディアンに土地の売買や賃貸を持ちかけ、相手の無知をいいことに
   > 格安で土地を手に入れる白人農家が大量に出た。
   > 無論政府は見て見ぬ振り。

   > 32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:01:53.86 ID:VSz/ukaG0
   > こんなことしといて日本に植民地ガー言って戦争仕掛ける白人は
   > クズの二枚舌はっきりわかんだね

   > 33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:02:07.38 ID: 6P82dOC70
   > ちなみにこの頃、アメリカ政府の権限は大企業に比べると弱かった。
   > 起業家 「 線路作るから土地よこせ。 税金かけたら・・・わかってるね? 」ぺしぺし(札束ビンタ)
   > 米政府 「 ははー」
   > 意外に思うかもしれないが、今みたいなリーダーシップの強い政府は
   > 1900年頃、セオドア・ルーズベルトまで登場しない。
   > 米政府としては少しでも起業家たちに恩、もとい媚を売っておきたかったのである。

   > 34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:05:48.76 ID: 6P82dOC70
   > アメ 「 君たちはキリストの教えも英語も知らない野蛮人だから、僕らが教育してあげるよ。
   >     君ら子供達のための学校をつくったよ! もちろん拒否は許さないよ! 」
   >
   > → インディアン寄宿学校。
   >
   > 要するに同化政策。 各部族の子供達を一カ所に集めて「文明的な」教育を施す学校。
   > 英語の使用厳守、名前も西洋風のそれを使わせ、服装は洋服、キリスト教の教える。
   > 部族語を使ったら体罰や 「 汚い言語を使った 」 として石けんで口を濯がされたりされた。
   > 当時の集合写真があるが、子供が一人も笑っていない様は異様。

   > 35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:08:07.27 ID: 6P82dOC70
   > アメ 「 学校では技術を中心に教えるよ! これで仕事にもあぶれないね!(ゲス顔) 」
   > イン 「 故郷に町なんかねーよ!!!」
   >
   > 教育も学術的なことは皆無で、革の加工、靴の製造、裁縫などの技術教育が主だった。
   > だが靴の修繕を学んで保留地に帰っても靴屋なんかないのではっきり言って無意味だった。
   > これによっていくつもの言語が断絶。後継者が絶えた文化は廃れた。
   >
   > 1900年頃にはインディアンは力をほぼ失い、時代から取り残されてく。
   > ぶっちゃけ弱体化しすぎてろくに教科書に出てこなくなる。

   > 37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:11:34.61 ID: 6P82dOC70
   > 第2次大戦中
   > アメ 「 ちょうどいい荒野があるし、実験に使おう! 国家の一大事だしね! 」
   >
   > → インディアン保留地でプルトニウム精製+核実験のコンボ
   >
   > イン 「 俺たちの・・・土地が!おまえたちが与えた!猫の額のような土地すら、奪うのか!!」
   > アメ 「 (うるさいなあ)この土地は『国家の犠牲地域』と呼ぶことにしたよ!名誉なことだよ!」
   >
   > これに関して政府の保障等は目立って行われていない。
   >
   > 正直この所行が一番鬼畜な気がする。
   > 「 民主主義云々。 ヒトラー許すまじ 」 とか言いながらこれだぜ?

   > 44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:25:33.60 ID: 6P82dOC70
   > 戦後
   >
   > イン 「 俺たちの土地は荒野だし、農業やっても儲からないし・・・。
   >     そうだラスベガスみたいなカジノ作ろう! 」
   > アメ一般人 「 地域の風紀や治安が悪化する! ギャンブル反対! カジノ反対!」
   > イン 「 てめーらの先祖のせいでこちとら仕事も金もないんじゃボケぇ!」
   >
   > → 裁判
   >
   > 裁判官 「 インディアンカジノ認めるよ 」 (1981)

   > 49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:34:35.84 ID: 6P82dOC70
   > ちょっと後
   >
   > アメ ( うーんカジノ作られまくると白人の支持がなー。
   >     かと言って禁止にするとリベラル派の連中が・・・ )
   > アメ ( そうだ! ) ピーン
   > アメ 「 部族復興のためにインディアンカジノの存在は認めるよ。
   >     ただし部族の保護が目的だから、現存する部族しか認可しないよ。
   >     人数少ない部族は小さいカジノしか作っちゃだめね 」
   > イン 「 てめーらが絶滅させたんだろうが! 」
   >
   > → インディアン賭博規制法(1987)
   >
   > これによりアメリカ東部にルーツを持つ多くの部族は 「 絶滅 」 しているとして
   > インディアンカジノを開く認可が得られなくなった。
   > 例えばインディアナ州に昔インディアンはいたけど、部族としてはもう体を成してないとして
   > インディアンカジノは一つも認可されてない。 ( 白人経営の普通のカジノは州内に14もある )
   >
   > 全体的に西アメリカ。カルフォルニアとかに多い。
   > http://www.nigc.gov/Reading_Room/List_and_Location_of_Tribal_Gaming_Operations.aspx

   > 55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:47:28.49 ID: 6P82dOC70
   > 20世紀初頭のインディアンの人権活動家が現れる頃には、比較しがたい格差が出来ており、
   > インディアン固有の文化、伝統、宗教、言語、アイデンティティー等の多くが失われた。
   > よく人種差別の対象として黒人の例が上がるが、彼らはまだ白人の差別に抗する力があった。
   > 歴史上、インディアンには抵抗の機会すらろくに与えられなかった。
   >
   > 現在においても、他の人種とインディアンの間には隔絶した格差が存在している。
   > 今では一部の部族が観光とインディアンカジノでやっと食っていけるくらいで、
   > 失業率は全米平均の3〜10倍、若者の自殺率3倍、平均寿命50代、アル中率激高など
   > とにかく悲惨。
   > 前述したドラッグもメキシコに近い地域を中心に被害に相当あってると思われる。
   >
   > 本当の民族浄化というのはこうやるのである。
   > インディアン達の明日はどっちだ。


   2013年06月02日 情報ごった煮ブログ
   封印された占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件ファイル」
   http://cooljapan2.jugem.jp/?eid=1014

   > ここでは、「戦争と性」の問題を考える上でひとつの史料を提供したい。
   > それは、GHQ占頷下の日本人女性にたいする米兵の「強姦事件」についてである。
   >
   > ----------
   >
   > ■ マッカーサーが厚木に降り立った直後に9件の強姦事件
   >
   > 占領初期のGHQ 1945年9月「月例報告」では、
   > 「 日本人は米兵に協力的であり、占領は秩序正しく、流血なしで行なわれた 」
   > などと記載されている。
   > また、GHQ外交局長W・J・シーボルドは
   > 「 (米軍)戦闘部隊兵士の行動は、特に感銘すべきものであった 」、
   > 「 米兵たちはジャップの女なんかには、手を出す気もしない 」
   > と記している (『マッカーサーの日本」1970年刊、新潮社より)。
   >
   > しかし、これら米国側の記録は、事実ではない。
   > この米軍の「嘘」を暴く鍵は、占頷下の1945年10月4日に解散させられた
   > 「特高(特別高等)警察」(約6000人)の記録の中にある。
   > 米軍進駐後、「特高」は「治安維持法」に基づく監視の必要もなくなり、
   > もっぱら進駐軍の素行調査をしていた。
   > 前掲の 『マッカーサーの日本』 にこの記録のことが一部記されており、
   > 原本をこの目で確かめてみたいと思った筆者は、国立公文書館でこの資料を発見した。
   > 手書きの原本が白日の下に晒されるのは今回が初めてだろう。
   >
   > そのファイルが377ページに及ぶ「進駐軍ノ不法行為」(内務省警保局外事課)である。
   > マッカーサーが厚木に降り立った8月30日から10月4日の解散命令までの
   > 米軍の不法行為を特高警察が取り調べたファイルを内務省警保局がまとめたものだ。
   >
   > ファイルによれば1945年8月30日〜9月10ロの12日間分だけでも
   > 強姦事件9、ワイセツ事件6、警官にたいする事件77
   > 一般人に対する強盗・略奪など424件
   > (この中には、後述するような理由で強姦事件も含まれていると考えられる)。
   > 特別事件として
   > 「葉山御用邸侵入」「二重橋ニ侵入皇居撮影事件」「宮様御用列車ニ同乗未遂事件」
   > などが発生している。
   >
   >
   
   「8月30日の記録と8月30日〜9月10日の統計」(SAPIOより)
   >
   >
   > ----------
   >
   > 「特高」は解散命令が出た10月4日の記録も残している。
   > その日の記録には
   > 「 公僕学校、倉庫等ニ侵入シ保管品等ヲ不法徴発 被害発生場所屋内10件 屋外10件 」
   > 「 両国ノ浴場ニテ女性暴行未遂事件 」
   > などとある。
   > 掠れたページもあり、正確な数字ではないが、全ファイル約1か月間で少なくとも
   > 強姦37件(未遂を含む)、その他の不法行為945件を数える。
   >
   > 実際、「特高廃止」指令が出ると、全国の「特高」は、書類を焼却してしまった。
   > しかしス特高」の元締「内務省警保局」の秘密報告書は焼却されず、
   > この米軍の不名誉な記録は、没収され、米国に持ち去られたのだ。
   > その後、実は1973年12月日本に返却され、翌年1月から、国立公文書館に所蔵されていた。
   >
   > ----------
   >
   > 妻36歳、長女17歳に対し拳銃で脅して……
   >
   > 米軍の不法行為を明らかにする前に、敗戦後、日本政府が日本女性を
   > 米軍の「性の暴力」からいかに守るか、苦心惨憺した様子を少し述べてみたい。
   > 日本政府が「慰安所」設置に直接関与したのは、戦時中でなく
   > 占領下の米軍(進駐軍)のためにだったのだ。
   >
   > 1945年8月21日の閣議で近衛文麿国務相が、米軍兵士用の慰安所の設置を主張し、
   > 池田勇人主税局長の裁断で5000万円の貸し付けが決定し、
   > 1945年8月28日「特殊慰安施設協会」(後に、国際親善協会RAAと改称)が設立された。
   >
   > その目的は、「関東地区駐屯軍将校並びに一般兵士の慰安施設」となっていた。
   > GHQは、1945年9月28日、都内の占領軍人用売春街を指令している。
   >
   > しかしこれでも日本人婦女子の貞操が守れなかったのである。
   > 実際は主権回後後まで膨大な数の女性が「強姦」されていた。
   > ファイルに記された調書をつぶさに見ていこう
   > ( 公開された文書は被害者の氏名などが黒塗りにされており、その部分は省略して記す )。
   > 強姦事件は、米軍の進駐とほぼ同時に始まっている。
   > 8月30日は横須賀に海兵隊が上陸した日だが、いきなり事件が発生している。
   >
   > ----------
   >
   > 強姦事件
   >
   > (一) 八月三十日午後六時頃横須賀市OO方女中、34右一人ニテ留守居中、
   >    突然米兵二名侵入シ来リ、一名見張リ、一名ハ二階四畳半ニテ○○ヲ強姦セリ。
   >    手ロハ予メ検索ト称シ、家内ニ侵人シ、一度外ニ出テ再ビ入リ、
   >    女一人ト確認シテ前記犯行セリ
   >
   > (二) 八月三十日午後一時三十分頃横須賀市○○方。
   >    米兵二名裏ロヨリ侵入シ、留守居中ノ右同人妻当○○三十六年、
   >    長女○○当十七年二対シ、拳銃ヲ擬シ威嚇ノ上、
   >    ○○ハ二階ニテ、○○ハ勝手口小室ニ於テ、夫々強姦セリ(以下略)》
   >
   > 同9月1日、房総牛島に米軍上陸。 ここでも事件発生。
   >
   > 《 ○○方ニ侵入セル米兵三人ニ留守番中ノ妻(ニハ)
   >  (中略)
   >  奥座敷ニ連行、脅迫ノ上ご三人ニテ輪姦セリ 》
   >
   > 《 九月一日午後六時頃トラックニ乗リタル米兵二名
   >  (中略)
   >  市内○○ニ来り女中一名(24)連レ去リ
   >  (中略)
   >  野毛山公園内米兵宿舎内二於テ米兵二十七名(ニ)輪姦サレ
   >  仮死状態ニ陥リタルモ
   >  (中略)
   >  三日米兵ニヨリ自宅迄送り届ケラレタリ 》
   >
   > このような記載が「特高」解散の10月4日まで続く。
   >
   > 《 九月十九日夜十一時頃、(横浜市)保土谷区、出征中○○妻(27)、
   >  (中略)
   >  ニ侵入シ「ジャックナイフ」デ情交ヲ迫リ、被害者之ヲ拒否シテ戸外二逃避セルヲ
   >  (中略)
   >  畠(畑)ニ連行、三名ニテ輪姦シタル。
   >  更二連中ノ三名ノ黒人兵ガ同所二於テ輪姦逃走セリ 》
   >
   > 調書を総覧すると、米兵の蛮行が眼前に浮かんでくる。
   >
   > 警察官はいたるところで暴力を振るわれ、拳銃を取り上げられている。
   > 一般人は、「乗用車」「ラジオ」「現金」「腕時計」「背広」や「ゲタ」まで、
   > 手当たり次第に強奪されていた。
   >
   > 《 九月二日午前十一時三十分頃武装米兵六名ハトラックニテ
   >  横浜市中区山手町二ー二番地共立女学校内、校長神保勝也二侵入各室ヲ物色シタル後
   >  現金二千七百十圓及ウオルサム腕時計一個ヲ強奪逃走セリ 》
   > とこのような「強奪逃走せり」が続くのだ。
   >
   > その中に、首を傾げたくなる記述がある。
   > それは、「民家に米兵が押し入り、若い女性から腕時計だけ強奪して逃走せり」との記述が
   > 散見することである。
   >
   > 貞操は取り返すことができずとも、せめて当時、貴重だった「腕時計」だけでも、
   > 取り返したいとの思いから被害届を出していたのではと思われる。
   > 先述した945件の強盗・略奪に強姦(あるいは強姦未遂)も入っているのではないかと
   > 考えるのはこのためである。
   >
   > このような状況は、神奈川県民を震撼せしめたであろう。
   > 当時の朝日新聞(1945年9月5日付)は三股見出しで
   > 「神奈川県の女生徒は休校 教職員が家族を巡回指導」 と記している。
   >
   > しかし、9月19日、GHQ「プレスコード」が発令されて以後は
   > 米兵を批判する記事は、新聞紙面からすべて消えている。
   > これで米国は、「強姦」など人道上の米軍の犯罪を封印できたと考えたであろう。
   > しかし記述のように「特高」の調書は、言論統制されてからも継続して綴られていたのだ。
   >
   > ----------
   >
   > 青少年性犯罪者が「米兵の真似して何か悪い」と開き直る
   >
   > 当時の憤りを取材して『黒い春《米軍・パンパン・女たちの戦後》』を
   > 1953年に五島勉氏が出版している。
   > その内容は、調書よりも残酷さがひしひしと伝わってくる。
   > 五島勉氏は1948年から調査を開始し、本人やその家族・友人・事件の目撃者など
   > 1000人にも及ぶ面接にもとづいて占頷下の空白時期をまとめた。
   >
   >
   
   「進駐軍向けの慰安施設の一環として利用された銀座のキャバレー(1945年)」(SAPIOより)
   >
   >
   > -----
   >
   > その中の二九外務省外局・終戦連絡委員会横浜事務局の北林余志子氏の作成した
   > 米軍の横浜市内と県下の一部を含む、不法行動リストによると、
   > 10月末日までで強姦29件となっている。
   > しかも、届け出ない件数は数十倍になると証言しているのだ。
   >
   > 五島氏は 「印刷ミスではない」 と断わってこう記す。
   > 「 T子(十一歳・武蔵野市小学五年生)R子(同)A子(同)の三人は、十月
   >  (中略)
   >  武蔵野の林のなかを仲よく手をつないで歩いていた 」
   >
   > 《 キャンプ・トコロザワの近くで夢中でスケッチをしていると、まずR子がおそわれ、
   >  次々に米軍の餌食になってしまったのだ。
   >  彼女達のスカートは切られ、何か起こったのか全然わからなかった。
   >  子とA子は気絶し、T子はまた泣き叫ぶと、アメリカ兵は彼女の顔を蹴り、ジープで去った 》
   > (要旨、以下同)
   >
   > このような事件が全国で続発している中で、1946年4月東京・大森で恐ろしい事件が勃発した。
   >
   > 《 N病院(=中村病院。その後廃業し、跡はビルと道路になった)は
   >  三白のトラックに分乗した米兵によって、およそ一時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。
   >  彼等の総数は二百人とか三百人とかという説もある。
   >  婦人患者のうち重症者をのぞく四十故人と看護婦十七人、
   >  ほかに十五ないし二十人の付添婦・雑役婦などが凌辱された 》
   >
   > 「 彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、
   >  その上にのりかかった」
   > 「 二日前に生まれたばかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、
   >  一人の兵隊にユカに蹴落とされて死んだ 」
   > 「 M子などは続けさまに七人の兵隊に犯され、気絶した 」
   >
   > そして、
   > 「 裸でころがっているあいだを通って、侵入してきたときと同様、彼等は表玄関と裏口から
   >  引き揚げていった 」
   > −− 慄然とする内容である。
   >
   >
   > 安倍首相や駐米大使がひたすら日本は既に「謝罪している」として、
   > 逆に「従軍慰安婦」を既成事実化するかのような姿勢であるのにたいして、
   > 自民党の戸井田とおる議員は2月21日の衆院内閣委員会でこう質した。
   >
   > 「 (決議案を提出した)マイク・ホンダ議員に翻訳して差し上げてもらいたい資料がでてきまし た。
   >  (中略)
   >  これは、官報号外、昭和28年2月27日に載った第15回国会の社会党の藤原道子議員の
   >  質問の議事録です。
   >  (中略)
   >  そこにはこのように書かれてあります。
   >  『 米軍の暴行事件は、昨年十二月まで独立後」独立後ですよ、
   >   「 八ケ月間におきまして千八百七十八件を数え、なお泣き寝入りになっておりまする件数は
   >    膨大な数であろうと想像されております 」
   >
   > 戸井田議員は、この資料で米国に攻めに転じよと言っているわけだ。
   > 同官報にはこう続けられている。
   > 「 各地における青少年の特に性犯罪、学童の桃色遊戯等の取調の際、彼らは係官に対して、
   >  アメリカ兵の真似をしたことがなぜ悪いかと反問し、
   >  大人の世界に精一杯の抗議をいたしておるのであります 」
   >
   > いまだ数々の戦争犯罪に対して、一度も謝罪したことのない米国に、
   > なぜ毅然とした態度で挑まぬのか。
   > 米国は、日本を非難する前に、ワシントン国立公文書館や米軍公文書館で調査してみよ。


 EU - クロアチア共和国

   wikipedia「クロアチア紛争」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/クロアチア紛争 - 1.1第二次世界大戦

   > 1918年にクロアチアは、第一次世界大戦中にセルビア王国が発表した
   > 戦後のバルカン地域の新国家像として南スラブ人による連邦国家の創設と言う提案に同意。
   > セルビア・クロアチア・スロベニア王国の成立に参加した。
   > この王国は1929年にユーゴスラビア王国と名称を変更するが、
   > 当初からこの王国の内政問題の第一はセルビア人とクロアチア人の民族対立であった。
   > ユーゴスラビアはセルビア王国の国王を頂いており、クロアチア人には首都の所在する
   > ベオグラードの政治をセルビア人が独占しているとして不満があった。
   > 1939年には妥協策としてクロアチア人に一定の自治権を認めたクロアチア自治州が
   > 設定されたが、クロアチア人の不満は解消されず、一方でアンテ・パヴェリッチが主導する
   > ウスタシャは公然とクロアチア独立を掲げた。
   > 1941年に突如としてナチス・ドイツがユーゴスラビアに侵攻。
   > ウスタシャはこれに協力して、傀儡国家クロアチア独立国を成立させた。
   > 一方でユーゴスラビア国王に忠誠を誓うセルビア人将校を中心として反ウスタシャ組織、
   > チェトニックが組織され抵抗運動を開始した。
   > ユーゴスラビアでの反ファシズム闘争は、クロアチア人とセルビア人の民族闘争に転化され、
   > この戦闘の中で両民族は民族浄化、レイプ、住民の追い出しをはかり
   > 大量の死者と難民を生み出した。
   > この出来事は1991年以降のクロアチア紛争でも再度論争の的となり、
   > さらに同じような事件が繰り返された。


 EU - オーストリア共和国

 EU - ベルギー王国

   DEMOCRACY NOW!
   ルムンバ暗殺から50年 コンゴ独立の苦難
   http://democracynow.jp/video/20110121-3
   放送日:2011/1/21(金)
   再生時間:11分
   >
   > 1960年、コンゴは春を迎えたはずでした。
   > 豊かな天然資源にめぐまれ「アフリカの宝石」と呼ばれながらも、
   > 19世紀末以来、まずはベルギーのレオポルド王個人の領地として、
   > その後はベルギーの植民地として、象牙やゴム、ダイヤモンドなどの莫大な富を
   > 吸い上げられ、残虐な扱いを受けていた人々が、ついに独立を勝ち得たのです。
   > 独立運動の若き指導者、パトリス・ルムンバが民主的な選挙で首相に選ばれ、
   > コンゴは理想主義と希望にわきあふれるかに見えました。
   > だが、政権は10日も続かず、クーデターで追われたルムンバは逮捕され、
   > 翌1961年1月17日に惨殺されます。 35歳の若さでした。
   > 裏で糸を引いたのは、ベルギーと米国だと言われています。
   > ルムンバは、汎アフリカ主義を唱え、統一コンゴを構想していました。
   > 世界の銅の生産量の約70%を産出するカタンガ州もコンゴの一部だと主張しました。
   > 政治だけでなく経済的にも自立した独立がルムンバの信念でした。
   > ルムンバ暗殺は、そうはいかないと告げました。
   >
   > ベストセラー『レオポルド王の亡霊:植民地アフリカのどん欲、恐怖、ヒロイズムの物語』の
   > 著者、アダム・ホックシールドによると、欧州の植民地大国、そして米国にとって
   > アフリカの独立は、欧州勢が既存の利権を保持することができるという条件付きでした。
   > 政治はくれてやろう、でも経済は渡さない。
   > また、冷戦のさなかにあった米国にとっては、人民や第三世界の経済的権利を説く
   > アジア・アフリカ諸国は、ソ連よりの危険な国を意味したのです。
   > 独立は果たしても、新しい形態の植民地主義は消えませんでした。
   > 形を変えて、20世紀を生き延びたのです。
   > ルムンバ暗殺は、この新たな植民地主義の到来を告げる転回点でもありました。
   > ルムンバ暗殺50年を期して放送されたこのセグメントでは、逮捕されたルムンバが寝返った
   > 元独立運動の盟友モブツにおとしめられる苦難の映像や、元CIAエージェントによる
   > ルムンバ暗殺への米国の関与に関する証言など貴重な映像もみられます。(大竹秀子)


   2013年08月19日 暇人\(^o^)/速報
   ルワンダ大虐殺とかいう19年前の出来事
   http://himasoku1123.blogspot.jp/2013/08/19.html
   > ・ 三か月の間に100万人以上のツチ族が虐殺される
   > ・ ツチ族の女はみんな強姦 
   > ・ フツ族なら署名するだけでAK-47や手溜弾を入手可能
   > ・ 大統領が殺害
   > ・ ツチ族の皇后も惨殺
   > ・ 虐殺に協力しなかったフツ族も虐殺
   > ・ カトリック教会も虐殺に参加(イスラム協会は保護したためイスラム教徒が激増)
   > ・ メディアが虐殺を煽りまくる
   > ・ 200万人の難民が発生
   > ・ 国連は虐殺を知りながら資源もなにもない国だったので見捨てる
   >
   > これ1994年のことなんやで
   >
   >
   >  ルワンダ虐殺は、1994年にルワンダで発生したジェノサイドである。
   >  1994年4月6日に発生したルワンダ大統領のジュベナール・ハビャリマナと
   >  ブルンジ大統領のンタリャミラの暗殺からルワンダ愛国戦線 (RPF) が
   >  同国を制圧するまでの約100日間に、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、
   >  多数のツチとフツ穏健派が殺害された。正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、
   >  およそ50万人から100万人の間、すなわちルワンダ全国民の10%から20%の間と
   >  推測されている。
   >  http://ja.wikipedia.org/wiki/ルワンダ虐殺

   > 15:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:33:20.20 ID:Xl1I0oJ9
   > これベルギーが悪いんやで

   > 30:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:38:25.16 ID:UrGsGzcl
   > フツ族とツチ族ってベルギーが対立を煽るために分別したんだよな

   > 40:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:43:05.67 ID:1UWtyc3V
   > 対立煽るっていうかそもそも部族が違う集団を一つの国家に入れる時点で無理があるだろ
   > それまでずっとバラバラやったものをまとめあげて一つにしたら勝手にきしみが出るやろ
   >
   > インドとかもそうやったはず、イギリスがってよりは統一国家国民国家自体に無理がある

   > 61:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:52:09.69 ID:75JAoCHx
   > >>40
   >
   > もともとは同じ部族なのさ
   >
   > ベルギー人が
   > 「 農耕やっている人たちと牧畜やっている人たちは別の部族に違いない。
   >  学校を作って彼らにこれを教えよう 支配が楽だし 」
   >
   > というのが発端。

   > 60:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:51:57.59 ID:VGPycr5w
   > 中立国とかいいつつこんな酷いことしてきたのか
   > ドン引き

   > 72:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:57:39.51 ID:ztPEGUrH
   > >>65
   >
   > いまだに内戦中のコンゴもベルギーだしな
   > イタリア領のソマリアやリビアは言うまでもない

   > 77:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:58:25.34 ID:iXah8WjQ
   > ルワンダの前にもコンゴ人虐殺しまくって欧州最低の君主と称されたベルギー王
   >
   > コンゴにおける治世の初期は鉄道を敷設したり、アラブ人奴隷商人による奴隷狩りから
   > 黒人を守るなどその近代化に努めるものであったが、経営が赤字になってくると
   > 利益の確保を急ぎ、先住民を酷使して天然ゴムの生産増を図るようになった。
   > 最も重要な資源である天然ゴムにはノルマ制が設けられ、生産量が足りない場合には
   > 手足切断などの罰が加えられた。
   > 過酷な圧政によってコンゴの人口は1885年にコンゴ自由国が建設された時点(3000万人)
   > と比べて70%減少し、900万人にまで減少したといわれる。
   > http://ja.wikipedia.org/wiki/レオポルド2世 (ベルギー王)

   > 96:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 10:05:07.24 ID:rzvXZTA9
   > >>77
   >
   > 「ゴムを取って経済に貢献しなきゃ(使命感)」
   > なお奴隷が死にまくった模様

   > 22:風吹けば名無し:2013/08/19(月) 09:35:25.11 ID:cSw3cQA+
   > 約2000人が避難していたキガリの公立技術学校を警護していた
   > 国際連合ルワンダ支援団のベルギー兵が避難民を放置して4月11日に撤退した結果、
   > ルワンダ軍とインテラハムウェによって避難民全員が虐殺された事件
   > (公立技術学校の虐殺)が発生している
   >
   > これとか最低や


 EU - ブルガリア共和国

   2013年11月13日 喧々諤々 - 政治経済関係まとめ
   【SAPIO】韓国、ベトナム戦争の「ライダイハン」を史実から消去画策
   …元韓国兵「強姦したら必ず殺せ。子供も皆殺せ、と聞いた」[11/13]
   http://kenkengakugaku0002.blog.fc2.com/blog-entry-261.html
   > 675: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2013/11/13(水) 13:43:24.59 ID:V+xBoZi1
   > 戦争で行われる行為は、基本その侵略国の民度による
   > レイプだ虐殺だといっても、兵隊にその気がなければ起きるわけがない
   > 人食い族が他の民族を攻めて人食いを習慣にしていても、
   > 現代の軍隊が人食いをしないのと同じ論理だ
   >
   > もともと大戦前の日本人はそういったことは他の国に比べて普段行わない民族だった
   > なのに虐殺だレイプだと、非道行為ばかりする軍隊になりうるわけがない
   > 自衛隊が参加したカンボジアのPKOでも、ブルガリアから派遣された兵隊は
   > 元犯罪者が多いといわれるような部隊で案の定、強姦や暴行を行っていた。
   > インドの警察官もまたしかり、かなり評判が悪かった
   > (インドの警察はかなり賄賂や依怙贔屓をするので有名)。
   > それに比べ、他の国の軍隊はもともと一部の評判の悪い軍隊を除いて
   > そういった問題はあまり起きていない。
   >
   > つまり、何がいいたいかというと本来日本軍はある程度の暴力行為ははたらいていても
   > 虐殺など極端なことなどするわけがないということである


 EU - キプロス共和国

 EU - チェコ共和国

   試訳:敗戦国ドイツの惨状
   ―― Nigel Jones、書評『ライヒが崩壊してから』(G. MacDonogh) ――
   http://revisionist.jp/nigel_01.htm
   > チェコスロヴァキアのズデーテン地方のドイツ語を話す人々の小コミューニティ
   > (100万人ほど)のうち、25万人がチェコ人によって虐殺された。
   > チェコ人は時としてぞっとするほど残酷であった。
   > チェコ人に対するナチスの支配は、ロシア人、ポーランド人、フランス人に対する支配よりも
   > 過酷ではなく、SS長官ハイドリヒ暗殺事件は別として、チェコ人はナチスの支配にかなり
   > 迎合的であったがために、チェコ人はとくに復讐心に燃えていた。


 EU - デンマーク王国

 EU - エストニア共和国

 EU - フィンランド共和国

 EU - フランス共和国

   wikipedia「慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/慰安婦 - 4.3 フランス軍

   > フランス軍、特にフランス植民地軍では「移動慰安所」という制度(慣習)があった[167][168]。
   > 「移動慰安所」は、フランス語でBordel militaire de campagne、または
   > Bordels Mobiles de Campagne(略称はBMC)と呼ばれ、
   > 第一次世界大戦・第二次世界大戦・インドシナ戦争、アルジェリア戦争の際に存在した[169]。
   > 移動慰安所はモロッコで成立したといわれ[170]、ほかアルジェリア、チュニジアにも
   > 存在した[171]。
   > 慰安婦には北アフリカ出身者が多かった[167]。
   > 現地人女性は防諜上の観点から好ましくないとされた[172]。
   > 秦郁彦は、このフランス軍の移動慰安所形式は、戦地で日本軍が慰安婦を連れて
   > 転戦した際の形式と似ていると指摘している[167]。


   2013年01月31日 ひまログ
   歴史上最もヤバい戦争って何だろうか
   http://hima-log.com/archives/23383226.html

   > 11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/27(日) 06:31:48.94 ID:eP1wsLEh0
   > 残虐だったのはフランスのアルジェリア戦争だろ
   > もう残虐非道もいいとこ アルジェリアを火の海にし女子供も関係ない
   > 国ごとハチャメチャにしたからな

   > 15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/27(日) 06:33:01.09 ID:Y+6uMSGH0
   > >>11
   >
   > これは残虐そうですね、、、
   > 植民地にする際に戦争をしたんですか?

   > 21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/27(日) 06:36:51.84 ID:eP1wsLEh0
   > >>15
   >
   > 逆植民地だったアルジェリアが独立をかけて闘うんだけど
   > それを宗主国のフレンチが返り討ち、と言うかそんな事させねえよって感じかな
   > でもそれが国際社会から批難かってアルジェリアは独立
   > フレンチは今だに色々優遇してあげてる その一つが移民

   > 23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/27(日) 06:38:49.06 ID:Y+6uMSGH0
   > >>21
   >
   > なるほど、フランスにはアルジェリア移民多いですよね ジダンとか
   > 実際のところ、フランスとの関係は一応良好何ですね
   > エジプトとはあまり仲良くないと効きました

   > 38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/27(日) 06:45:21.49 ID:eP1wsLEh0
   > >>23
   >
   > 国家間で一応良好だと思う
   > でも国境関係なしにアルカイダとか他のイスラム武装勢力が
   > 人質ビジネス 麻薬武器の密輸してるからアルジェリアの隣のマリでは今現在
   > フレンチ軍が「空爆」してます
   > なぜマリでフレンチがそんな事してるか
   > マリには1万人近いフレンチがいる
   > これ人質にとられたら最近の日本人のそれとは比べものにならないからな
   > ただアルジェリアにはフレンチはもう軍は送れない 昔酷いことしすぎたから


   wikipedia「アルジェリア戦争」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/アルジェリア戦争


   反日ワクチン
   リンドバーグ日記最終
   (小楠 at 09/26 08:18)
   http://vaccine.sblo.jp/pages/user/m/article?article_id=1326280&page=2
   > 【1945年】
   > 5月17日木曜日
   >
   > フランス軍が占領した数日後のシュツットガルトにいたアメリカ人技術者によると、
   > フランス軍は略戒、強姦、殺戮をほしいままにしたという。
   > が、フランス陸軍の一部をなす黒人部隊のそれは信じ難いまでに悪質だった。
   > 件の技術者は病院で十七回も凌辱された婦人患者を見ている。
   > 「 シュツットガルトの女性は六歳から六十歳まで一人残らず凌辱された
   >  と言って差支えない 」。
   > 技術者の証言は後刻、アメリカ陸軍将校の話により一部が確認された。
   > シュツットガルトでは六千件の強姦が報告され、市民はアメリカ軍がフランス軍と
   > 入れ代わるように懇願しているとのことだ。


   試訳:敗戦国ドイツの惨状
   ―― Nigel Jones、書評『ライヒが崩壊してから』(G. MacDonogh) ――
   http://revisionist.jp/nigel_01.htm
   > 数多くのドイツ軍捕虜が、多くの国々、とくにフランス、合衆国、ソ連、イギリスにおいて、
   > 戦後何年にもわたって、奴隷労働として利用された。


 EU - ドイツ連邦共和国

   wikipedia「慰安婦」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/慰安婦 - 4.2 ドイツ軍

   > ドイツ軍将兵用慰安所
   >
   > ザイトラーの著作によれば、1939年9月9日、ドイツ政府は軍人の健康を守るために
   > 街娼を禁止し、売春宿 (Bordell) は警察の管理下におかれ、衛生上の監督をうけ、
   > さらに1940年7月にはブラウヒッチュ陸軍総司令官は、性病予防のために
   > ドイツ兵士のための売春宿を指定し、それ以外の売春宿の利用を禁止した[162]。
   > 入場料は2-3マルク、高級慰安所は5マルクだった[162]。
   > なお、ソ連のスターリンは売春を禁止していたため、東方の占領地では売春宿を新設し、
   > 慰安婦はしばしば強制徴用されたといわれる[165]。
   >
   > 2005年1月、ドイツで放映されたドキュメンタリー番組
   > 「戦利品としての女性・ドイツ国防軍と売春 (Frauen als Beute -Wehrmacht und Prostitution)」
   > では、ドイツ軍が1904年、フランス人の売春婦を使い官製の慰安所を始め、
   > 後にはポーランドやウクライナの女学校の生徒を連行し、慰安婦にしたことを報じた。


   酒たまねぎ屋
   軍隊と性 ドイツ軍における「慰安婦」
   http://www.tamanegiya.com/doitutoiannfu18.6.14.html
   《前略》
   >
   > しかし、他方、旧ソ連地域などの東欧方面には既成施設が利用はできないために
   > 「西欧では女郎屋の女主人が売春婦の確保につとめ、その代りに収入の半分を手にした。
   > しかし東方では前線司令官たちが売春婦になる少女たちの獲得につとめなければ
   > ならなかった。 その際、強制処置がしばしば取られた。」
   > 「 若い娘で、労働力投入への呼びかけに応じてドイツに行くのはいやだといって拒んだ者は、
   >  二者択一として、国防軍売春宿でしばらく勤務する以外にに選択の余地はなかった。
   >  ユダヤ女性に対してさえもこの二者択一が提案された。
   >  『 やるべきことをちゃんとやれば 』 釈放が保証されるといって
   >  強制収容所で募集された女たちが、東部占領地区の売春宿に連れて行かれたか、
   >  それとも、ラーヴェンスブリュック強制収容所で売春婦に仕立てられていった
   >  女性在監者と同じような運命を辿って、ドイツ国内で使役されるにいたったか、
   >  そこははっきりしていない。
   >  ただ彼女らが美人で使いものにさえなれば、アーリア人であろうとセム人であろうと、
   >  たいして間題ではなかったのだ。」


 EU - ギリシャ共和国

 EU - ハンガリー共和国

 EU - アイルランド

   策略  女性を軍事化する国際政治
   http://www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/2517/sub73.html
   《前略》
   >
   > 国家安全保障としてのレイプ
   >
   > もし私たちが売買春と関係つけられた「娯楽的」レイプや戦時レイプにばかり
   > 関心を向けるなら「国家安全保障」に対する脅威と考えられるもので頭がいっぱいの
   > 政権の下で、女性たちを軍事化するためにどのようにレイプが利用されてきたのか
   > 見落としてしまう危険性がある。
   > 国家安全保障というフィルターを通して国内の政治的対抗勢力を見ている全ての政権が、
   > 必ずレイプを行なうわけではない。
   > イギリスのフェミニスト研究者サラ・ベントンは
   > いかなる内紛でのレイプ利用にそれぞれ個別の問いを立てるよう
   > ー つまりレイプを自明のものと考えてしまわないよう ー 私たちに警告している。
   > (1916年のイースター蜂起後のアイルランドの武力紛争を調査した彼女は)
   > イギリスの治安部隊が行なった残酷な手段を用いたことのたくさんの証拠を発見した
   > ・・・1920年代の紛争がジェンダー化されていなかっらとも結論づけはしない。
   > むしろ彼女はさらに踏込んで、イギリス軍によって広範なレイプが行なわれているという
   > アイルランド民衆の思いこみがナショナリズム運動にアイルランド女性を動員するために
   > いかに利用されたか、そして同時にアイルランド女性は無力であり
   > アイルランド・ナショナリストの男性藤氏の「兄弟愛」の庇護を要するのだという
   > イメージを保持するのに、いかに利用されたかを検証した。
   >
   《以下略》

 EU - イタリア共和国

 EU - ラトビア共和国

 EU - リトアニア共和国

 EU - ルクセンブルク大公国

 EU - マルタ共和国

 EU - オランダ王国

 EU - ポーランド共和国

 EU - ポルトガル共和国

   地球を2分割したスペイン・ポルトガルの世界進出
   http://www.history.gr.jp/~showa/310.html
   > ポルトガルは、アフリカ及びインド洋の沿岸地域を中心に、武力を背景として貿易を強行し、
   > インド洋周辺にアラビア勢力を打破してインド洋の制海権を獲得していった。
   > そしてアフリカの西海岸地域のギニアやアンゴラでは黒人奴隷貿易を行った。
   > ポルトガル人は、スペイン人と同様に南米のブラジル地域の原住民を大量虐殺し、
   > このために中南米の原住民人口は激減し、その労働力は底を着いてしまった。
   > そこでポルトガルは、この深刻な労働力不足を補うべく、黒人奴隷貿易でアフリカから
   > 中南米に向けて多くの黒人を送り込んだのである。


 EU - ルーマニア

   2010年11月10日 DARKNESS
   ルーマニアの貧しい女たちの血を吸う現代のドラキュラは誰なのか?
   http://www.bllackz.com/2010/11/blog-post_10.html
   《前略》
   >
   > チャウシェスクが死んでからすでに20年以上も経っているが、
   > それからルーマニアはどうなったのだろう。
   > 実はこのルーマニアは未だに貧困から立ち直れておらず、
   > むしろ混迷の度が拡大の一途になっている。
   >
   > EUに加盟したところで状況は何も変わっていない。
   > むしろ、EU加盟はルーマニアに何もリターンをもたらさないまま、
   > 最近ではEUそのものが瓦解の危機に見舞われている。
   >
   > 人身売買されて東南アジアに送り込まれている白人女性は
   > ロシア(もしくはロシア圏)と相場が決まっていて、
   > ウクライナ・モルドバ・ルーマニアの女性などもアジアで売春させられていた。
   >
   > モルドバはヨーロッパ中で人身売買国家として知られている。
   > ( モルドバから来た娼婦。雨が降ったら、それはお母さんの涙 )
   >
   > 女性が片っ端から欧州各国に売られているようだが、ルーマニアも負けていない。


 EU - スロバキア共和国

 EU - スロベニア共和国

 EU - スペイン王国

   wikipedia「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」
   http://ja.wikipedia.org/wiki/スペインによるアメリカ大陸の植民地化

   > スペインは南米侵略以降、暴虐の限りを尽くし、サント・ドミンゴ、プエルトリコ、ジャマイカ、
   > キューバなどを征服。
   > その先住民およそ100万人を殺すか病死させるか奴隷にした結果、
   > ほとんどが絶滅してしまった。
   > 純血は確実に絶滅してしまったため、いまでは白人と黒人で成り立っている。
   > またインカ帝国、マヤ帝国、アステカ帝国はスペイン人の植民地政策による虐殺または
   > ヨーロッパからもたらされた疫病により人口が激減し、例えば最大で1600万人存在していた
   > インカ帝国の人口は108万人まで減少。
   > アステカ帝国の領域では、征服前にはおよそ1100万人であったと推測される
   > (2500万人とする説もある)先住民の人口が、1600年の人口調査の結果では、
   > 100万人程度にまで激減した。
   >
   > スペインはその植民地政策において、アメリカ合衆国・カナダとは比べ物にならない数の
   > 先住民を一掃してしまった。
   > 生き残った先住民も侵略者である白人と黒人奴隷との混血が進んだ。


   地球を2分割したスペイン・ポルトガルの世界進出
   http://www.history.gr.jp/~showa/310.html
   > スペインは、まずコロンブスが最初に上陸したサンサルバドル島、キューバ、ジャマイカなど
   > 西インド諸島(メキシコ湾東方のカリブ海域の群島)を、我が物顔で次々と支配し、
   > 1521年にはメキシコのアズテク(アステカ)帝国を撃滅、1533年にはペルーのインカ帝国を
   > 撃滅していった。
   > その間スペイン人は原住民を大量虐殺し、生き残った者もことごとく奴隷として酷使した。
   > またスペイン本土よりの粗末な品物と原住民の銀とを交換して大量の銀を本国に持ち帰った。


 EU - スウェーデン王国

   2009年04月28日 Tech insight
   【EU発!Breaking News】独、仏の20倍!欧州で最もレイプ犯罪率の高い国(スウェーデン)
   http://japan.techinsight.jp/2009/04/rapesweden_0904272120.html
   > 現在スウェーデンは、ヨーロッパで最もレイプ犯罪が多い国である事がわかった。
   > 他の北欧諸国と比べてなんと4倍、犯罪率の高いイギリスと比べてみても、
   > その数は2倍まで跳ね上がる。
   >
   > スウェーデンでは現在レイプ被害が10万人の人口の場所で46件報告されている。
   > これはイギリスの23件の倍であり、他の北欧諸国に比べて4倍にもなる。
   > ドイツとフランスに比べてみると、スウェーデンにおけるレイプ被害の数はなんと20倍にも
   > 跳ね上がる。
   >
   > 他のヨーロッパ諸国における、レイプ被害の報告は、年間100件強に対し、
   > スウェーデンではなんと5000件以上である。
   >
   > スウェーデンにおけるレイプ被害の高発生率は、人々のナイトライフに関係すると思われる。
   > 人々は夜にクラブへ行った後に、更に家でパーティーを行い、他にも早い年齢での性行為や、
   > 高いアルコールの消費量などがあげられる。


   取引される少女たち、欧州人身売買の実態
   暗躍する現代の女衒〜北欧・福祉社会の光と影(19)
   http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38257
   > 英国からスウェーデンに移り、落ち着いてしばらくした頃、「リリア 4-ever」という映画が
   > 製作・公開され、国中に一大センセーションを巻き起こした。 2002年のことだ。
   >
   > ソ連崩壊後、連邦から独立した一共和国でストーリーは始まる。
   > 混乱を極め、貧困化する社会の中で、母親は16歳の少女を残し、新しい生活を求めて
   > 男と米国へ行ってしまう。
   > 後で呼び寄せると母親は言ったが、その後少女には何の連絡もない。
   > 養育権なども放棄されており、少女は捨てられたことを悟る。
   >
   > 母が置いていったカネもなくなり、すさんでいく生活の中で、少女は優しい男と出会う。
   > 彼に 「 スウェーデンには仕事がある 」 と言われて一緒に行く約束をする。
   > 偽造パスポートを手渡され、チケットの手配もするが、
   > しかし男は 「 先に行っててくれ 」 と言い、飛行機には乗らない。
   >
   > 到着した空港で彼女を待っていた別の男が、彼女を自分の部屋に連れて行く。
   > セックスを強要され、その後ドアに鍵をかけられて監禁される。
   >
   > それから彼女は毎夜、いろいろな男の部屋へ連れて行かれて売春させられるのだ。
   > 暴力を振るわれ、
   > 「 逃げたら殺す 」
   > 「 警察に行っても、もとの国に帰されるだけだ。 その後、俺の仲間がお前を殺す 」
   > と脅されながら。
   >
   > スウェーデンを震撼させたリトアニア少女の過酷な運命
   >
   > この映画は実話に基づいている*1。
   >
   > 1999年9月、リトアニアに住む16歳の少女ダングールが、
   > 「 スウェーデンに行けばベリー摘みの仕事がある 」
   > と言われて南スウェーデンにやって来た。
   > ほぼ上記のような経緯をたどり、毎夜売春を強要されるという生活を強いられた。
   > 彼女は窓から飛び降りて逃げたのだが、今度はマケドニア人の男らに捕まり、
   > そこでも毎晩何人もにレイプされた。
   >
   《以下略》


 EU - グレート・ブリテンおよび北部アイルランド連合王国 ( イギリス )

   酒たまねぎや
   アーロン収容所にみるイギリス人
   http://www.tamanegiya.com/a-ronnsyuuyoujyotoigirisuj.html

   > 平成19年8月27日月曜日晴れ ○
   >
   > 会田雄次氏はその著書「アーロン収容所」の前文に、捕虜生活において
   > イギリス人については下記のように感じたと書いている。
   >
   > 以下引用
   >
   >  < この経験は異常なものであった。
   >    略)
   >    私たちも終戦になったとき、これからどういうことになるだろうかと、
   >    戦友たちと想像しあった。
   >    ところが実際に経験したその捕虜生活は、およそ想像とかかけちがったものだった
   >    のである。
   >    想像以上にひどいことをされたというわけでもない。
   >    よい待遇をうけたというわけでもない。
   >    たえずなぐられ蹴られる目にあったというわけでもない。
   >    私刑的な仕返しをうけたというわけでもない。
   >    それでいて私たちは、私たちといっていけなければ、すくなくとも私は、
   >    英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反応と憎悪を抱いて
   >    帰ってきたのである。 異常な、といったのはそのことである。
   >    略)
   >    私達だけが知られざる英軍の、イギリス人の正体を垣間見た気がしてならなかった
   >    からである。 いや、たしかに、見届けたはずだ。
   >    それはおそろしい怪物が、ほとんどの全アジア人を、何百年にわたって支配してきた。
   >    そして、そのことが全アジア人のすべての不幸の根源になってきたのだ。>
   >
   > p四〜五
   >
   > 会田氏が
   > 「 全アジア人を、何百年にわたって支配してきた。
   >  そして、そのことが全アジア人のすべての不幸の根源になってきた 」
   > と書くイギリス人の正体とはどういったものだったのでしょう。
   > 戦時中に捕虜となったもの、あるいは投降者した者を、会田氏のように
   > 非武装解除軍人と連合軍は区別していたが、その一人から会田氏が聞いた話として
   >
   >  < 「 私はミッチーナで重傷を負い、倒れていて英軍に収容されました。
   >     意識を失っていて収容されたのです。 でも、それはどうでもいいのです。
   >     私たちは帰れないかもしれません。 ですから、この話だけはしておきたい。
   >     日本の人にしらせてください 」
   >    「 英軍はひどいことをします。
   >     私たちは、イワラジ河のずっと河下の方に一時いました。
   >     その中州に戦犯部隊とかいう鉄道隊の人が、百何十人か入っていました。
   >     泰麺国境でイギリス人捕虜を虐待して多数を殺したという疑いです。
   >     その人たちが本当にやったのかどうか知りません。
   >     イギリス人はあの人たちは裁判を待っているのだと言っていました。
   >     狂暴で逃走や反乱の危険があるというので、そういうところへ収容したのだそうです。
   >     でもその必要はありませんでした。 私たちは食糧がすくなく飢えに苦しみました。
   >     ああ、あなたたちもそうでしたか。 あの人たちも苦しみました。
   >     あそこは毛ガニがたくさんいます。 うまい奴です。 それをとって食べたのです。
   >     あなたもあのカニがアミーバ赤痢の巣だということを知っていますね。
   >     あの中州は潮がさしてくると全部水に没し、一尺ぐらいの深さになります。
   >     みんな背嚢を頭にのせて潮がひくまで何時間もしゃがんでいるのです。
   >     そんなところですから、もちろん薪の材料はありません。
   >     みんな生のままたべました。
   >     英軍はカニには病原菌がいるから生食いしてはいけないという命令を出していました。
   >     兵隊たちも食べては危険なことは知っていたでしょう。
   >     でも食べないではいられなかったのです。
   >     そしてみんな赤痢にやられ、血便を出し血へどをはいて死にました。
   >     水を呑みに行って力つき、水の中へうつぶして死ぬ。 あの例の死に方です。
   >     看視のイギリス兵はみんなが死に絶えるまで、岸から双眼鏡で毎日観測していました。
   >     全部死んだのを見とどけて、
   >     『 日本兵は衛生観念不足で、自制心も乏しく、
   >      英軍のたび重なる警告にもかかわらず、生ガニを補食し、
   >      疫病にかかって全滅した。 まことに遺憾である 』
   >     と上司に報告したそうです。 何もかも英軍の計算どおりにいったというわけですね 」
   >
   >    とにかく英軍は、なぐったり蹴ったりはあまりしないし、殺すにも滅多切りというような、
   >    いわゆる「残虐行為」はほとんどしなかったようだ。
   >    しかし、それではヒューマニズムと合理主義に貫かれた態度で
   >    私たちに臨んだであろうか。 そうではない。
   >    そうではないどころか、小児病的な復讐欲でなされた行為さえ私たちに加えられた。
   >    しかし、そういう行為でも、つねに表面ははなはだ合理的であり、非難に対しては
   >    うまく言い抜けできるようになっていた。
   >    しかも、英軍はあくまで冷静で、「逆上」することなく冷酷に落ち着き払って
   >    それをおこなったのである。 ある見方からすれば、かれらは、たしかに残虐ではない。
   >    しかし視点を変えれば、これこそ、人間が人間に対してなしうる
   >    もっとも残虐な行為ではなかろうか。>
   >
   > P七三〜七五
   >
   >
   > 「アーロン収容所」にみるイギリス人女性
   >
   > 8月14日火曜日晴れ 暑い
   >
   > 「アーロン収容所」(会田雄次著 中央文庫一九七三年初版)というこの本より
   > 一番多く引用されているだろうと思われる英軍女性兵士にとっての日本人およびアジア人。
   >
   > 以下引用
   >
   >  < 英軍兵舎の清掃というのは、いちばんイヤな作業である。
   >    もっとも激しい屈辱感をあたえられるのは、こういう作業のときだからである。
   >    略)
   >    この雑用は、たとえば掃除にしてみても、便所掃除やゴミ捨場の片付けなど、
   >    いちばんひとのイヤがるところを、いちばん下等な監督者をつけてやらされるのが
   >    ふつうだからである。 便所につまった糞を手で掃除させるぐらい朝飯前であった。
   >    略)
   >    その日は英軍の女兵舎の掃除であった。
   >    看護婦だとかPX関係の女兵士のいるカマボコ兵舎は、
   >    別に垣をめぐらせた一棟をしめている。
   >    ひどく程度の悪い女たちが揃っているので、ここの仕事は鬼門中の鬼門なのだが、
   >    割当てだから何とも仕方がない。 一カ月に一、二回はこの役目にあたるのである。
   >
   >    彼女たちの使役はじつに不愉快である。
   >    略)
   >    それはともかくとして、まずバケツと雑巾、ホウキ、チリトリなど一式を
   >    両手にぶらさげ女兵舎に入る。
   >    私たちが英軍兵舎に入るときは、たとえ便所であろうとノックの必要はない。
   >    これが第一いけない。
   >    私たちは英軍兵舎の掃除にノックの必要なしといわれたときはどういうことかわからず、
   >    日本兵はそこまで信頼されているのかとうぬぼれた。
   >    ところがそうではないのだ。
   >    ノックされるととんでもない格好をしているときなど身支度してから答えねばならない。
   >    捕虜やビルマ人にそんなことをする必要はないからだ。
   >    イギリス人は大小の用便中でも私たちが掃除しに入っても平気であった。
   >    ドアをあけ、ていねいに一礼し、掃き、腹這いになって床をふく。
   >    こういうとき、男であろうと女であろうと絶対にイギリス人を注視してはいけない。
   >    とくに目をあわせるといけない。 大層な剣幕でどなられる。
   >    略)
   >    反抗心のあらわれと解釈されるらしいのである。
   >    略)
   >    タバコをお礼にくれたりするものがあるので、かえってこの仕事を喜ぶ兵隊もいたが、
   >    私は大嫌いだった。 なぜなら、タバコといっても一本か二本をくれるだけなのだ。
   >    しかも、そのときサンクスなどということばは絶対に口にしない。
   >    もっとも私は捕虜の全期を通じ、たしかに私用だと思われる仕事をしたことがあっても、
   >    イギリス人からサンキューということばは一度も耳にしなかった。
   >    おそらくこのことばを聞いた兵隊はいないであろう。
   >    しかも、タバコを手渡したりは絶対にしない。 口も絶対にきかない。
   >    一本か二本を床の上に放って、あごで拾えとしゃくるだけである。
   >    もらわないと変にこじれて仕事が多くなると困る。
   >    仕方なしに拾うのだが、私の抵抗は、できるだけその女兵士の見ている前で、
   >    働きに来ているビルマ人かインド人の苦力たちにそれをやることである。
   >    「 マスター、チェズテンマーレ(有難う)、マスター 」
   >    とかれらは喜ぶ。
   >    マスターとよばれている私たちを見て、女どもは、不思議そうな不愉快そうな顔をする。
   >    せめてものうさばらしであった。
   >    この女たちの仕事で癪にさわるもう一つのことがある。
   >    足で指図することだ。
   >    たとえばこの荷物を向こうへ持って行けというときは、足でその荷物をけり、
   >    あごでしゃくる。 よかったらうなずく、それだけなのである。
   >
   >    その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。
   >    一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。
   >    ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知ると
   >    そのまま何事もなかったように髪をくしけずりはじめた。
   >    部屋には二、三の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。
   >    なんの変化もおこらない。
   >    私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。
   >    裸の女は髪をすき終えると下着をつけ、そのまま寝台に横になって
   >    タバコを吸いはじめた。
   >
   >    入って来たのがもし白人だったら、女たちはかなきり声をあげ
   >    大変な騒ぎになったことと思われる。
   >    しかし、日本人だったので、彼女らはまったくその存在を無視したのである。
   >    このような経験は私だけでなかった。
   >    略)
   >    ところがある日、このN兵長がカンカンに怒って帰ってきた。
   >    洗濯をしていたら、女が自分のズロースをぬいで、これも洗えといってきたのだそうだ。
   >
   >    「 ハダカできやがって、ポイとほって行きよるのや 」
   >
   >    「 ハダカって、まっぱだかか。 うまいことやりよったな 」
   >
   >    「 タオルか何かまいてきよったがまる見えや。 けど、そんなことはどうでもよい。
   >     犬にわたすみたいにムッとだまってほうりこみやがって、しかもズロースや 」
   >
   >    「 そいで洗うたのか 」
   >
   >    「 洗ったるもんか。 はしでつまんで水につけて、そのままほしといたわ。
   >     阿呆があとでタバコくれよった 」
   >
   >    略)
   >    もちろん、相手がビルマ人やインド人であっても同じことだろう。
   >    そのくせイギリス兵には、はにかんだり、ニコニコしたりでむやみと愛嬌がよい。
   >    彼女たちからすれば、植民地人や有色人はあきらかに「人間」ではないのである。
   >    それは家畜にひとしいものだから、それに対し人間に対するような感覚を持つ必要は
   >    ないのだ。 どうしてもそうとしか思えない >
   >
   > P四五〜五〇
   >
   > 引用終わり
   >
   > < 彼女たちからすれば、植民地人や有色人はあきらかに「人間」ではないのである。
   >   それは家畜にひとしいものだから、それに対し人間に対するような感覚を持つ必要は
   >   ないのだ。>
   >
   > 多くの国を植民地にしていたイギリス人がどのような感情で
   > その植民地の住人に接していたかがよくわかる事例です。
   >
   >
   > イギリス人にとってのアジア人とは
   >
   > 8月29日水曜日くもりのち一時小雨 
   >
   > 会田氏の著書「アーロン収容所」には、ラング−ンにあった元競馬場を使った
   > 英国軍の食糧集積場において、ある時、ビルマ人の泥棒が死んでいた事に対しての
   > 英軍軍曹のとった態度として下記のような記述がある。
   >
   > 以下引用
   >
   > < 若い軍曹が面倒くさそうについて来た。
   >   屍体がうつぶせなのを見て、靴の先で激しく蹴りあげるように額を持ち上げる。
   >   首の骨が折れる。 私はハッとしたが、泥まみれの顔にはどこにも生気はなかった。
   >   「死んでいる」(フィニッシュ)気のなさそうに彼はつぶやいた。
   >   略)
   >   私にはガクンと仰向けられた屍体の顔と、ちょっとそれを見ていて冷たく
   >   「フィニッシュ」と言った軍曹の声と、蹴られた屍体ががっくり頭を落とした状態が、
   >   いまも目に見える。
   >   明らかにここでは一匹のネズミが死んだのであって、人間が死んだのではなかった。
   >   ヨーロッパ人がヒューマニストであるならば、いったいこれはどういうことなのであろうか >
   >
   > p六四〜六五
   >
   > 続けて、これらのイギリス人と日本人との違いについて、会田氏は下記のように書いています。
   >
   > < 私たちは戦争における非戦闘員や捕虜に対する処置によって、
   >   戦争犯罪を追求された。
   >   そして日本人の残虐行為が世界中に喧伝された。 全部がウソだとは言わない。
   >   しかし日本人の行為が残虐であって、この英軍軍曹の行為は残虐ではないと
   >   いえるだろうか。
   >   いわゆる残虐性のなかには習慣の相違、それも何千年もの間のまったく違った
   >   歴史的環境から生まれた、ものの考え方の根本的な相違が誤解を生んだということが
   >   多々あるように思われる。
   >   私の言いたいことはこうである。
   >   日本人は何千年来、家畜を飼うという経験をしなかった。
   >   とくに食糧としての家畜を飼うことをまったく知らなかった。
   >   つまり日本人は一般的に家畜の屠畜というものに無神経な珍しい民族なのである。
   >   同じアジア人でも、中国人やビルマ人は屠畜になれている。
   >   それ以上にヨーロッパ人は慣れている。
   >   略)
   >   私たちは捕虜を捕まえると閉口してしまうのだ。
   >   とくに前線で自分達より数の多い兵隊をつかまえたりしたら、
   >   どうしてよいか茫然としてしまうのだ。
   >   しかし、ヨーロッパ人はちがう。かれらは多数の家畜の飼育に慣れてきた。
   >   植民地人の使用はその技術を洗練させた。
   >   何千という捕虜を十数人で護送していく彼等の姿には、
   >   まさに羊や牛の大軍をひきいて行く特殊な感覚と
   >   技術を身につけた牧羊者の動作が見られる。
   >   日本人にはそのようなことができるものはほとんどいないのだ。
   >   残虐性の度合いや強弱などというものは、一般的な標尺のあるものではない。
   >   それは文化や社会構造の型の問題で、文化や道徳の高さなどという
   >   価値の問題ではない。
   >   ヨーロッパ人が自分達の尺度で他国を非難するのは勝手だが、
   >   私たちまでその尺度を学んだり、模倣したりする必要はないと思う。 >
   >
   > p六五〜六八
   >
   > そして、こういったヨーロッパ人の屠畜とキリスト教との関係については
   >
   > < しかし、生物を殺すのは、やはり気持のよいものではない。
   >   だからヨーロッパではそれを正当化する理念が要求された。
   >   キリスト教もそれをやっている。
   >   動物は人間に使われるために、利用されるために、食われるために、
   >   神に創造されたという教えである。
   >   人間と動物との間にキリスト教ほど激しい断絶を規定した宗教はないのではなかろうか。
   >   ところでこういう区別感が身についてしまうと、どういうことになるのだろう。
   >   私たちにとっては、動物と人間の区別の仕方が問題になるだろう。
   >   その境界線はがんらい微妙なところにあるのに、大きい差を設定するのだから、
   >   その基準はうっかりすると実に勝手なものになるからである。
   >   信仰の相違や皮膚の色がその基準になった例は多い。
   >   いったん人間でないとされたら大変である。
   >   殺そうが傷つけようが、良心の痛みを感じないですむのだ。
   >   冷静に、逆上することなく、動物たる人間を殺すことができる。
   >   ビルマ人の泥棒の屍体を扱った軍曹の姿の中に、私がそういう「冷静」を見たと思った
   >   のは誤りであろうか。
   >   ヨーロッパ人が、人間と動物との境界をずいぶん身勝手なところで
   >   設定するのではないかと私が考えたのは、勝手にそう思ったのではない。
   >   次のような体験があるからである。
   >
   >   私たちの食事に供された米はビルマの下等米であった。
   >   砕米で、しかもひどく臭い米であった。
   >   飢えている間はそれでよかったが、ちょっと腹がふくれてくると、食べられたものではない。
   >   そのう上ある時期はやたら砂が多く、三割ぐらいは泥と砂のある場合もあった。
   >   私たちは歯はこわすし、下痢はするし散々な目に会い、とうとう日本軍司令部に
   >   英軍へ抗議してくれと申し込んだ。
   >   その結果を聞きに行った小隊長は、やがてカンカンになって帰ってきた。
   >   英軍の返答は、
   >   「 日本軍に支給している米は、当ビルマにおいて、家畜用飼料として使用し、
   >    なんら害なきものである 」
   >   であった。 それもいやがらせの答えではない。
   >   英軍の担当者は真面目に不審そうに、そして真剣にこう答えたそうである。>
   >
   > p六八〜六九
   >
   > 現在、我が国においてキリスト教信者は一%以下といわれています。
   > その一神教であるキリスト教における問題点を会田氏は指摘し、
   > いったん人間でないとされたものに対する区別感によるその醜さも書いている。
   >
   > 「 日本軍に支給している米は、当ビルマにおいて、家畜用飼料として使用し、
   >  なんら害なきものである 」 という言葉の通り、イギリス人にとっては日本人、アジア人は
   > 家畜と同じように見ていたことがよくわかります。
   > それは先に引用した英軍女性兵士の態度でもわかります。
   > 「 人間でないとされたもの 」 「 家畜のようなもの 」 に裸を見られても
   > 恥ずかしくはないのです。
   > ですから、そのような「人間でないとされたもの」に負けたのが我慢ならないので、
   > 陰湿な復讐をするのです。
   >
   > それについては、次回に書きます。
   >
   > 会田氏の書いている
   > 「 残虐性の度合いや強弱などというものは、一般的な標尺のあるものではない。
   >  文化や社会構造の型の問題で、文化や道徳の高さなどという価値の問題ではない。
   >  ヨーロッパ人が自分達の尺度で他国を非難するのは勝手だが、私たちまでその尺度を
   >  学んだり、模倣したりする必要はないと思う。」
   > というこの意味は重いと思います。
   >
   >
   > イギリス人の残忍さ
   >
   > 会田氏によると収容所の設置された場所は、これ以上の悪い設置条件がないというような
   > 場所だったようです。
   >
   > 以下同書よりの引用。
   >
   > < 私たちの部隊は、最初はイラワジ河岸のアーロン収容所、
   >   あとはヴィクトリア湖という人造湖畔のコカイン収容所におかれたわけであるが、
   >   前者はラングーンの塵埃集積所と道一つへだてたところであり、すさまじい悪臭と蝿が
   >   私たちを苦しめつづけ、後者は家畜放牧場に接し、とくに集中的な放尿所であった。
   >   他に空地は無限なほど多かったのに、どうしてこういう場所を収容所として選んだのか。
   >   朝夕、太陽にまぶしくシェターゴン・パゴタが金色にきらめく。
   >   その下の菩提樹の繁った丘、芝生で被われた広い原、牛が木鈴を鳴らして遊んでいる。
   >   そのような背景の中では、奇蹟のような汚い場所、そこにわざわざ私たちはおかれた
   >   のである。 やはりそこには英軍当局の明確な目的があったようだと思うしかない。>
   >
   > P七〇
   >
   > そのイギリス人の日本人捕虜の扱いについて下記のように書いている。
   >
   > < これらの収容所の広さは七、八千坪、いやもっとあったかもしれない。
   >   いづれも土に柱をつきさし、屋根に葉っぱをのせ、周辺をアンペラでかこっただけの
   >   細長い小屋がその住居であった。
   >   床はもちろんなく、ドンゴロス(麻袋)などをひいてねた。
   >   中央に三尺ぐらいの通路があり、その両側一間半ぐらいの空間に
   >   めざしのように並んで寝るのである。
   >   英軍からの支給は、ボロボロの衣服と寝具…………蚊帳は一人づりの新品、
   >   雨合羽も割合よいもの、この二つの支給が例外である………と食糧以外は
   >   なんの支給もなく、食器、床材料、タバコその他はみな自給した。
   >   自給とは英軍の倉庫などから調達してくること、つまり泥棒のことである。>
   >
   > P三九〜四〇
   >
   > < 日本軍捕虜に対する英軍の待遇のなかにも、私たちには、やはり、これはイギリス式の
   >   残虐行為ではないかと考えられるものがある。
   >   そして、英軍の処置の中には、復讐という意味が必ずふくまれていた。
   >   問題はその復讐の仕方である。
   >   日本人がよくやっていたような、なぐったりけったりの直接行動はほとんどない。
   >   しかし、一見いかにも合理的な処置の奥底に、この上なく執拗な、極度の軽蔑と、
   >   猫がネズミをなぶるような復讐がこめられていたように思う。>
   >
   > P七〇
   >
   > < 昭和二一年の初秋ごろだったか、雨季あけの心地よい季節であるのに、
   >   私たちの隊はとくに憂鬱だった。 じつに嫌な仕事が廻ってきたのである。
   >   当時の兵隊たちの言葉でいえば「隠亡」作業、つまり英軍墓地の整理である。
   >   略)
   >   私たちに与えられたのは、棺を掘り出し、別の場所へ移す仕事である。
   >   英軍の埋葬は屍体を布でつつみ、寝棺に入れ、その上に英国旗をかけて
   >   五尺ほどの深さの穴へ水平に下ろす。
   >   略)
   >   棺が腐ったものは、塚の土がゴソリとなかへくずれている。
   >   全部くずれかけているものも多い。 そういうのを堀かえし、埋めかえるのだ。
   >   ほとんどの屍体は腐乱最中である。
   >   乾季中に腐ったものは、ミイラのようになっていてまだよいが、
   >   雨季か雨季直前に埋められたものはひどい。
   >   一種の蒸風呂のなかでの腐り方のようなものだからだ。
   >   戦時中の遺棄屍体の方が禿鷹や鳥が整理してくれていてずっと見やすかった。
   >   悪臭で目からボロボロこぼれる。
   >   ウジ虫のかたまりのようなのを素手ではこぼされるのである。
   >   この作業から帰った兵隊はコンビーフのまぜ飯を見てゲーッと言って
   >   当分それを食べられない。
   >   コンビーフは屍体の肉そっくり、飯はウジそっくりだからである。>
   >
   > P七一〜七二
   >
   > 先の会田氏が聞いた日本人捕虜の証言として出てきた、潮が満ちてくると水中に没する
   > 中州に日本人捕虜を閉じ込め、食糧も与えず、カニを生で食うようにしむけ、
   > 赤痢にやられ、死に絶えるまで、岸から双眼鏡で毎日観測していたという英国軍人と
   > 同じ姿がここにあります。
   > 会田氏は一九六二年にこの本を書くにあたって、当時トイレットペーパーに書き綴ったものを、
   > 取捨、配列、つぎあわせたものであり、できるだけ客観性をもたせるために、
   > なるべく伝聞を避け、会田氏自身の体験を主にしたとその前文で書いている。
   >
   > この項つづきます。
   >
   >
   > 「降伏日本軍人」という身分と英軍による捕虜虐殺
   >
   > 平成19年9月24日月曜日曇り
   >
   > 「降伏日本軍人」とは
   >
   > < この作業のとき、私は奇妙な一群を見た。
   >   インド兵のような服装をした日本兵の集団で、私たちと同じ作業をしている。
   >   なぜか私たちをさけている。 ものも言わない。 やがて私たちは気がついた。
   >   戦時中の捕虜、投降者たちである。
   >   それは、捕虜、または戦争捕虜(戦犯者ではない)として
   >   私たち降伏軍人または非武装解除軍人から区別され、中央監獄に収容されている
   >   人々であった。
   >   私は、行き会った一人に「やあ」と声をかけてみた。 顔をそむけて応答してくれなかった。
   >
   >   「 話しようとしても物をいってくれないな。
   >    気の毒だから無理に話しかけることはないけれど、ひどくひがんでいる 」
   >   と小隊長は言った。
   >   日本軍の教育はおそろしい。
   >   「捕虜」たちは、戦争が終わったその時でも、私たちが軽蔑の目で見ているとうたがい、
   >   全身でそれに反撥している。 しかも、自分を恥じている。
   >   私たちは、自分達を立派だと思っていない。
   >   ことにろくろく戦闘もしなかった渡しなど威張れるわけがない。
   >   しかし、こういう人たちを目の前にすると正直なところ、おれは投降はしなかったという
   >   気分がわき、優越者みたいな気になるのを抑えきれなかった。>
   >
   > (p72〜73)と会田雄次氏の著書「アーロン収容所」にも書かれているが、
   > これについて、「日本の反論」(米田健三著)には下記のように書かれています。
   >
   > < 英軍は国際法が定める捕虜の待遇を与えないために「降伏日本軍人」という
   >   あらたな身分をあみ出した。
   >   その日本軍人に対して、粗末な給養で、危険な、あるいは不潔な労働を強いられた
   >   のである。
   >   この問題については「軍事史学」(第三五巻第二号)に掲載された喜多義人論文に詳しい。
   >   それによると、一〇万六〇〇〇名もの将兵が昭和二一年七月以降も「作業隊」として
   >   東南アジアに残され、昭和二三年一月の送還完了までに九〇〇〇人近い死者がでた
   >   という。>
   >
   > 自分達はシンガポールなどにおいてさっさと投降しておきながら、
   > そんな事は忘れて、「アーロン収容所」に書かれているように、もともと、捕虜の立場を
   > 厭がる日本軍の意向が、逆手に取られたのである。
   >
   > また、日本軍将兵が課せられた作業は、
   >
   > < 「 弾薬の海中投棄、採石、樹木の伐採、下水掃除、糞尿処理、
   >    炭塵の立ち込める船倉内での石炭積載作業、一〇〇キロ入り米袋の運搬 」
   >   などで、明らかにハーグ陸戦法規と一九二九年の捕虜条約が禁じた、
   >   過度で、不健康、危険な労働であった。
   >   まさに、緒戦で日本軍に敗れた怨念を晴らすための復讐に他ならなかった。
   >   英軍についていえば、一九四四年六月二二日、インド・アッサム州のミッションで、
   >   一〇〇人以上の日本軍傷病兵が、英軍兵に焼き殺された
   >   ( 「世界戦争犯罪事典」文芸春秋 )。
   >   アッサムの英軍根拠地インパールの攻略を目指した牟田口中将の第一五軍は、
   >   コヒマを占領したものの、英軍の猛反撃を受け後退を開始した。
   >   ミッションを防衛していた歩兵第六〇連隊も移動を始めたが、逃げ遅れて
   >   担架に乗せられたまま路上に放置された夜戦病院の重傷患者一五〇名は、
   >   英軍グルカ兵の手でガソリンをかけられ焼き殺されたのである。>
   >
   > 以上、引用および参考
   > 「日本の反論」(米田健三著 並木書房)
   > 「アーロン収容所」(会田雄次著 中公文庫)
   >
   > 戦場においては日本軍だけがいかにも残酷な行動を取り、
   > 連合軍が紳士的な行いをしたような事をいう人が多いが、決してそういうことばかりではない。
   > どちらにも、英雄的な行動もあり、感動的な出来事もあるが、醜い行いもある。
   > 一方的に先人を断罪するような事は慎んでほしいものである。


   2004年12月28日 不条理日記
   ケニア駐留イギリス軍によるレイプ犯罪
   http://himadesu.seesaa.net/article/1415942.html
   > 駐ケニア英兵、住民に性暴力 三十数年間で2千人被害か
   >
   > ケニアに駐留する英軍兵士が長年にわたり、現地住民に性的暴行を加えてきたとする
   > 問題が、英国の弁護士やケニアの非政府組織(NGO)の調査で明らかになってきた。
   > 三十数年間に最大2000人が被害に遭ったとみられ、うち約650人が英政府に
   > 損害賠償を求めている。
   > 過去に被害を届けた人もいたが、地元警察や英軍に黙殺され、表面化しなかった。
   > 英軍も独自に捜査を進めている。
   > 英軍は、ナイロビの北東約300キロにあるケニア山北側の訓練場などで、
   > 60年代から軍事演習を続けている。 年間3000〜4000人が派遣されるという。
   > 訓練場付近のアーチャーズ・ポスト、イシオロ、ドルドルなどの町には、放牧生活をする
   > マサイ族やサンブル族が多く住んでいる。
   > この地域で住民の権利保護などに取り組むケニアのNGO「インパクト」によると、
   > 1960年代から01年までに、最大で2000人の男女が、英軍兵士によって性的暴行を
   > 受けたとみられるという。
   > 暴行を受けた女性が、加害者の子を出産したケースも多いという。
   > 人権侵害にかかわる訴訟を数多く手がける英国のマーティン・デイ弁護士は、
   > 被害者約650人の代理人として、03年から英政府に損害賠償を求めている。
   > 駐留英軍が83年に7件の暴行事件の報告を受けながら、
   > 何の措置も取らなかったことなどから、組織的な隠蔽の疑いもあると追及している。
   > ケニア中部では00年、英軍が演習で残した不発弾で、住民約80人が死亡するなどの
   > 被害が明らかになった。
   > デイ弁護士は、被害住民228人を原告とする裁判を英国で起こし、02年、和解金として
   > 450万ポンド(約9億円)を英政府から勝ち取った。
   > この訴訟を通じて、性的暴行の問題を知ったという。
   > デイ弁護士らの追及を受けて、英軍憲兵隊も03年から捜査を始めた。
   > 地元警察の文書を調べたり、被害者から情報を集めたりしている。
   > 今年10月にはケニア当局と英軍が合同で、9年前に暴行を受けて死亡したとされる女性
   > (当時16歳)の遺体を掘り返して検証した。
   > ケニアの医師や弁護士らによるNGO「ジェンダーに基づく暴力に関する
   > 医療・法律ネットワーク」は、4日間の集中調査で461人の被害者を特定した。
   > 同ネットワーク代表のケニア医師会人権委員長、エミリー・ロゲナ医師は
   > 「 村を追い出され、結婚できないなど、被害後に女性が受ける差別も大きな問題。
   >  被害者への様々な支援が必要だ 」
   > と訴えている。
   > 11月に日本を訪れて各地で講演したところ、駐留米軍による日本人への犯罪との関連で、
   > 多くの人が強い関心を示したという。
   >
   > (12/27 06:10)
   >
   > http://www.asahi.com/international/update/1227/003.html
   >
   > *************************************
   >
   > アサヒ・コムの内容は以上ですが、同日の朝刊国際面には
   > 暴行の被害者の証言も掲載されています。
   >
   > ● ラハマ・ワコさんは、15歳のときイギリス軍兵士4人に暴行され妊娠、
   >   実家を追われ長男を出産しました。
   >   長男は小学校で「ブリティッシュ」とからかわれ、不登校になったそうです。
   >
   > ● サビナ・ヌケデゥさんは、14歳のとき暴行され長男を出産、村で差別を受け
   >   結婚も出来なかったそうです。
   >   15歳になった長男はこの事件の告白を涙を流しながら聞いたそうです。
   >   「 人生を台無しにされた。 自分の手で(容疑者の)英兵を殺したい 」
   >
   > ● ロビン・キティラさんという男性は、10人以上のイギリス兵から暴行されました。
   >   事件後、妻は二人の子供を連れて家を出たそうです。
   >   「 多くの男が襲われたが、沈黙を守っている。 他人に知られたら全てを失うからだ 」
   >
   > ● カウンダ・レトオさんの、事件当時16歳、妊娠6ヶ月の娘はイギリス兵に暴行され
   >   死亡したそうです。
   >   「 当時(9年前)は事件について、英軍に抗議はしなかった。
   >    文句を言えば、もっとひどいことをされると思った 」
   >   10月には、今頃になってイギリス軍が調査の為に墓を掘り起こしたそうです。
   >
   《以下略》

 韓国や北朝鮮,中国、そして軍がレイバー揃いのアメリカが 「 お前が言うな 」 状態にある事は、ある 意味当然としても、EUですら脛に傷を持つ身です。 そもそもEUに関して言えば

   Mar/18/2013
   「ヨーロッパの植民地だった国を全部塗りつぶすと世界地図はこうなる」海外の反応
   http://10000km.com/2013/03/18/colony/

   

   > annonymous 11 mois de ca
   > わかりにくい人いる?
   > 青く塗ったとこが植民地だったとこね

   > annonymous 11 mois de ca
   > 水色はいちおうヨーロッパの影響下にあった事がある国ってかんじ?

   > annonymous 11 mois de ca
   > こうやって地図眺めると俺らヨーロッパ人の世界占領パネエッすw


   2013年08月20日 マダムの部屋
   「世界陸上」を見て思ったこと
   http://blog.livedoor.jp/hanadokei2010/archives/3867137.html
   《前略》
   >
   > 100年前、アフリカや中南米はほとんど白人国家である西欧列強の植民地でした。
   > ではアジアはどういう状態だったでしょうか?
   >
   > 中国(清朝)には欧米列強の租界がいくつもできて、事実上、分割された状態でした。
   > フィリピンはスペインの植民地でしたが、米西戦争でアメリカが勝って
   > 1889年からアメリカの植民地になりました。
   > インドネシアは1799年、つまり18世紀の終わりからオランダの植民地で、
   > オランダの圧政は20世紀の初め、既に100年以上も続いていました。
   > ベトナムは中国(清)の影響下にありましたが、1887年からフランスの植民地になりました。
   > ラオスは1883年からフランスの植民地になりました。
   > カンボジアは1863年からフランスの植民地になりました。
   > シンガポールは1824年からイギリスの植民地になりました。
   > ビルマ(今のミャンマー)は1886年からイギリスの植民地になりました。
   > インドは1877年からイギリスの植民地になりました。
   > つまり19世紀末から20世紀初頭にかけて、アジアで独立を維持できていたのは
   > タイと日本だけだったのです。
   >
   > しかし1904年、日露戦争で日本が勝利したことは
   > アジアやアフリカの有色人種に希望を与えました。
   > 白人には絶対に勝てない、と思いこんでいた黒人や黄色人種は日本の勝利に勇気づけられ、
   > 独立をめざす組織が各国で形成されました。
   > 1926年、インドネシアではスカルノによって「インドネシア国民党」が結成されました。
   > 1925年、ベトナムではホー・チ・ミンが「ベトナム青年革命同志会」を結成しました。
   >
   > 1941年12月8日、わが日本軍が真珠湾を攻撃して始まった大東亜戦争は
   > 日本とアメリカとの戦いというだけでなく、アジアから白人国家を追いだす戦いという
   > 側面もありました。
   > 1945年8月15日、大東亜戦争は終戦を迎えましたが、
   > アジアではその後、植民地だった国々が一斉に旧宗主国に対して独立を宣言しました。
   > オランダ軍は再びインドネシアを植民地にするために戻ってきましたが、
   > わが日本軍が養成した独立軍「ペタ」がオランダ軍を破り1949年、独立を果たしました。
   >
   > 20世紀後半、アジアにはもう白人国家の植民地は一つも残っていませんでした。
   > 世界地図は完全に塗り替えられました。
   > この劇的な変化はやはり大東亜戦争がもたらしたものだと言えると思います。
   > だから、かつて白人支配の悲惨さを経験した東南アジアの国々の人々は
   > 日本人が戦ってくれたことに対して感謝してくれています。
   > それなのに日本人だけが自国の先人の戦った意味について学校で教えられず、
   > 未だに「日本は侵略戦争をした」などという嘘を信じている人が多いのは残念です。
   >
   > 白人も黒人も黄色人種も一緒にスポーツを楽しめる今の平和は100年前にはなかったのです。
   > それをもたらしたのが私たちの先人であるということを私たちは誇りにし、次の世代に
   > 伝えていきましょう。


 これが第二次世界大戦以前に欧米がやってきたことの ―― インターネットで検索すれば直ちに判 る ―― 有色人種への迫害大量虐殺 ―― の恐らくはホンの一部 ―― です。

 サヨクの面々は、
 「 他国の戦争犯罪を上げ連ねても、それで日本の戦争犯罪がチャラになるわけではない (キリッ 」
 と言います。

 そうでしょうか?

 こんな歴史を持っている欧米が、こと慰安婦問題如きで日本を叩くというのは、
 まだ罪を償っていない前科数百犯の強盗殺人鬼が、
 万引きをした初犯 ( しかも、圭坊に怨みのある 人が発するあやふやな目撃証言しかない ) の
 圭坊を 「 赦し難い凶悪犯だ 」 と罵っている様なモノです。

 これが正義に見えるサヨクは異常です。 


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